心の風景

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邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触

日中戦争(1937~45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也)

通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。

 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。

 それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。

 この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。

さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。

 実例として、36年11月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。

 35~36年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。

 保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、38年8月に同省楽亭県での暴動を組織した。

 張慶余らは、盧溝橋事件(37年7月7日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。

 通州事件で、保安隊は7月28日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。

 蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。中国では「抗日将領」として評価されている。2017.1.4 産経ニュース
https://www.sankei.com/world/news/170104/wor1701040025-n2.html

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1937年7月29日、この日、保安隊の衛兵が12時を期して今晩に限って東西南北の城門を全てを閉じたが、誰も疑念を抱く者はなく城内の人々は眠りについた。

邦人の安全責任を負うはずの保安隊が城内に三千三百名、城外に二千五百名に対し、日本側の警備陣は用務員や小使を含めてたった百二十名しかいなかった。

日本人を襲ったのは、日本人を守る立場の中国人保安隊。

居留民の死者、二百二十五名(うち百十一名が朝鮮人)、守備人関係死者、三十二名、合計 二百五十七名が無残に殺害されたが、この事件で政府に雇われていた中国人は一人も殺されていない。


そして、これは突発的な事件ではなく産経ニュースで掲載されたように周到に練られた陰謀だった。

この事件で学生といわれている者たちは、国民党配下の特殊武闘集団で教導隊に紛れ込んでいた殺人集団…その蔭に蔣介石の指揮指導があった。


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殺人を楽しむ傾向はこの殺人鬼らに限ったことではなく、中国古来の風習に根付いたものと考えられ、明代の皇帝は、この「残虐な殺人を好み」敵対する一族全員を捕らえると肉を削ぎ落とす陵遅刑に処し、1905年~明治まで、こうした刑罰がシナではまかり通っていた。


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日本中を慟哭させたシナの残虐な手口は、夫が中国人で通州に住んでいた佐々木テンさんによる「通州事件 目撃者の証言」より紹介したいと思います。


七月二十九日の朝、まだ辺りが薄暗いときでした。
突然私は沈さんに烈しく起こされました。

大変なことが起こったようだ。
早く外に出ようと言うので、私は風呂敷二つを持って外に飛び出しました。

沈さんは私の手を引いて町の中をあちこちに逃げはじめたのです。
町には一杯人が出ておりました。
そして日本軍の兵舎の方から猛烈な銃撃戦の音が聞こえて来ました。

でもまだ辺りは薄暗いのです。

何がどうなっているやらさっぱりわかりません。

只、日本軍兵舎の方で炎が上がったのがわかりました。

私は沈さんと一緒に逃げながら、

「きっと日本軍は勝つ。負けてたまるか」という思いが胸一杯に拡がっておりました。
でも明るくなる頃になると銃撃戦の音はもう聞こえなくなってしまったのです。

私はきっと日本軍が勝ったのだと思っていました。

それが八時を過ぎる頃になると、シナ人達が、「日本軍が負けた。日本人は皆殺しだ」と騒いでいる声が聞こえて来ました。

突然私の頭の中にカーと血がのぼるような感じがしました。

最近はあまり日本軍兵舎には行かなかったけれど、何回も何十回も足を運んだことのある懐かしい日本軍兵舎です。

私は飛んでいって日本の兵隊さんと一緒に戦ってやろう。

もう私はどうなってもいいから最後は日本の兵隊さんと一緒に戦って死んでやろうというような気持ちになったのです。

それで沈さんの手を振りほどいて駆け出そうとしたら、沈さんが私の手をしっかり握って離さないでいましたが、沈さんのその手にぐんと力が入りました。

そして、「駄目だ、駄目だ、行ってはいけない」と私を抱きしめるのです。

それでも私が駆け出そうとすると沈さんがいきなり私の頬を烈しくぶったのです。

私は思わずハッして自分にかえったような気になりました。

ハッと自分にかえった私を抱きかかえるようにして家の陰に連れて行きました。

そして沈さんは今ここで私が日本人ということがわかったらどうなるかわからないのかと強く叱るのです。

それで私も初めてああそうだったと気付いたのです。

私は沈さんと結婚してシナ人になっておりますが、やはり心の中には日本人であることが忘れられなかったのです。

でもあのとき誰も止める者がなかったら日本軍兵舎の中に飛び込んで行ったことでしょう。

それは日本人の血というか、九州人の血というか、そんなものが私の体の中に流れていたに違いありません。

それを沈さんが止めてくれたから私は助かったのです。

八時を過ぎて九時近くになって銃声はあまり聞こえないようになったので、これで恐ろしい事件は終わったのかとやや安心しているときです。

誰かが日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです。
私の家から居留区までは少し離れていたのでそのときはあまりピーンと実感はなかったのです。

そのうち誰かが日本人居留区では女や子供が殺されているぞというのです。

何かぞーっとする気分になりましたが、恐ろしいものは見たいというのが人間の感情です。

私は沈さんの手を引いて日本人居留区の方へ走りました。

そのとき何故あんな行動に移ったかというと、それははっきり説明は出来ません。

只何というか、本能的なものではなかったかと思われます。

沈さんの手を引いたというのもあれはやはり夫婦の絆の不思議と申すべきでしょうか。

日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。

それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。

何か生臭い匂いがするのです。

血の匂いです。
人間の血の匂いがして来るのです。

しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。

沢山のシナ人が道路の傍らに立っております。

そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。
いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。

そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。
十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。

その娘さんを引き出して来たのは学生でした。
そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。

その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。

体はぶるぶると震えておりました。

その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。

保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か殴りつけました。

そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。

シナでも七月と言えば夏です。暑いです。

薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。

すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。
娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。

しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。

娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。
学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。

そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。

学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。
そして下着を取ってしまいました。
娘さんは「助けてー」と叫びました。

と、そのときです。
一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。
そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。

恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。

すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。

何かグシャッというような音が聞こえたように思います。
頭が割られたのです。

でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。
保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。
娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。

この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。
パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。
恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。

そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。
服が破けます。
肌が出ます。
血が流れます。

そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。

そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。
血がパーッと飛び散ります。

その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。

腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。
今度は胸の辺りを又突き刺します。

それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。
又腹を突きます。胸を突きます。何回も何回も突き刺すのです。

沢山のシナ人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。
この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。

その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。
暴虐無惨と申しましょうか。
あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。

この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。

この娘さんは既に全裸になされております。
そして恐怖のために動くことが出来ないのです。

その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。
そして陵辱をはじめようとするのです。

シナ人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、これはもう人間のすることとは言えません。

ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。
どうしても陵辱がうまく行かないのです。

すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。

そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。

こんな姿を見ながらその近くに何名ものシナ人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。
ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。

私と沈さんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。

私は沈さんの手にしっかりとすがっておりました。
目をしっかりつぶっておりました。

するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。
私は思わずびっくりして目を開きました。

するとどうでしょう。
保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。

何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。

その私の身体を沈さんがしっかり抱きしめてくれました。
見てはいけない。
見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。
ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。

それから剣で首を切り落としたのです。

その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。
投げられた首は地面をゴロゴロと転がって男の人の屍体の側で止まったのです。

若しこの男の人がこの娘さんの親であるなら、親と子がああした形で一緒になったのかなあと私の頭のどこかで考えていました。


220px-東京朝日新聞_通州事件の記事


当時中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは1938年11月にBehind the News in Chinaを刊行し以下のように報道している。

日本人は友人であるかのように警護者のフリをしていた支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼等の同国人が彼等を発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼等の血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。

— Frederick Wiliams、Behind the News in China, New York: Nelson Hughes Company,1938.



ひとつの場所に集められ一日中拷問を続けたシナの殺人鬼らについて書いておきたいのですが、日本では敵側に寝返りをうったり投降したりすることは武士道の最も恥ずべき行為とされ、日本人はそれを嫌います。

しかし、シナでは「反正」といって正しきにかえるとし、シナには手のひらを返す行為が「恥という文化がない」ことを覚えておいてほしいと思います。

日本人が味方と信じていた保安隊が2年も前から各地で同時に反乱を起こす機会を狙っており、通州にとどまることなく、天津の日本租界・軍関係機関をはじめ、大沽、塘沽、軍糧城など邦人が多数居留する区域を一斉に襲撃する計画があった。

しかし、こうした「事実」があったにもかかわらず、歴史から忘れ去られなかったかのように日本国内で「問題」にされてない。

中国が歴史を捏造し、日本に酷い非難を浴びせても外務省は反撃しない。
反撃の材料のひとつである「通州事件」にしても一度も言及していない。
学校でも通州事件を含め教えていない。

そして、もっとも許しがたいのは「通州事件」でのできごとが「南京大虐殺」とすりかえられ、ユネスコに世界遺産として登録されてしまったことです。


かつて盧溝橋事件を発端とした「抗日運動」があったように、今また「反日運動」が中共政府によって展開されていることを考えれば同じことが起こりかねない。

少し前に、「多くの悪しき隣人の中に、日本人のために命をかけてくれた良き隣人がいた」という記事を書きました。

http://kokorone.blog.jp/archives/25025538.html?ref=popular_article&id=7512867-1268700

通州事件のときに、命をかけて日本人を守ってくれた中国の人がいます。

しかし、それとこれは別に考えなくてはなりません。

シナ人をひとくくりに考えてはいけませんが、捏造に対して断固として声をあげ反撃していかねばなりません。


歴史の真実に目を背けず、歴史の事実を拡散し、日本悪玉論を軸とするシナの捏造を断じて許してはならない。


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あなたにとって、拉致はいつまで他人ごとなのでしょう?

拙ブログは拉致問題を取り上げることが多いですが、保守のカテゴリに引っ越してきたのは拉致問題の一刻も早い解決を願ってのことです。

勝算はあるか?といえば「今やらなければ」これほどのチャンスは二度と来ないことだけが分かっているという話です。

日本は軍事的圧力はなしで対話と圧力どころか「話し合いの40年」だったのです。‪

かつての日本は世界屈指の軍事力と敵国攻撃力を保有し、外国に捕まった自国民を武力を背景に救出していましたが、敗戦後GHQに押し付けられた日本国憲法によって国民を救出する術を失ってしまった。

平和を謳う9条信者は、日本人が拉致され放題の現実を見ても「日本は平和だ」「平和憲法」などといえるのかと…

工作員が他国人が現地人に成りすますために身分・戸籍を乗っ取るために日本人を拉致し背乗りなどしている行為はテロです。

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信用がある日本人を名乗れば他国にスパイとして潜り込みやすい。

昨日、池上彰の番組でも取り上げられていましたが、ビザなしで渡航できる国の数を各国・地域で比較する「パスポートランキング」で日本がシンガポールと並び世界一です。

永住権などの取得支援を手がけるコンサルティング会社「ヘンリー・アンド・パートナーズ」(本社・イギリス領ジャージー島)がこのほど発表した調査結果で明らかになった。 日本はシンガポールと並び、ビザを取得しなくても180カ国に渡航することができる。調査対象となった199の国と地域の中で最多だった。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/04/world-passport-ranking_a_23376718/


安倍政権でようやく40年も動いていなかった拉致問題が動き出しましたが、拉致問題には反日左翼が絡んでくるので簡単にはいかないんです。

6月3日の神戸の拉致被害者奪還デモも「ヘイト!」と騒いで「ネトウヨに神戸の街を歩かせるな!」と妨害を呼びかけている連中がいます。

子供を拉致された親が「子供を返せ!」ということの何がヘイトなのか?どこがネトウヨなのか?ホントに何でもありなんですよ彼らは。



拉致被害者奪還ツイデモに参加している古参の方たちが自分の名前や顔を出さないプロフにしているのも、ツイデモで素性がわかる人は参加しないよう勧めるのも、相手をしている連中が「一般人ではない」からです。

土井たか子についても書いてきたと思いますが、土井たか子チルドレンの福島瑞穂や辻元清美、こういう連中とバックにいる輩が拉致問題を前に進ませないように暴力圧力をかけてくるんです。

拉致問題は単に「親が子を助けたい」というものではなく、助けようにも助けられない強い圧力と戦ってきたのです。

それも、どこにでもいる普通の親がです。

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ある日、突然、何の落ち度もない我が子を北朝鮮に奪われた人たちは、この国の中でも戦っている。

拉致被害者家族である横田夫妻は、小泉訪朝以前に「娘を助けて下さい」と街頭でビラを撒いていたときに、旧社会党と労組、総連が「デマを止めろ!」と罵声を浴びせて卵を投げつけた…

愛する娘を奪われた上、土井たか子を筆頭に朝鮮総連と強く結びついた売国議員やその手下らによってどれほど傷つけられてきたかを知ってください。

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どこにでもいる普通の親が一般人である拉致被害者家族が、権力と利権にまみれた組織から嫌がらせを受け圧力をかけられているのです。

あなたは、それを見て見ぬふりをするのですか?

拉致問題の根は深く朝鮮総連を背景にした組織との戦いなのです。

だから全ての日本人にサポートしてもらいたい!と切に願います。

安倍政権が邪魔な者たちと安倍倒閣を叫ぶ者たちには共通した目的があるのです。

今日も拉致被害者全員奪還ツイデモが20〜23時にあります。

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