心の風景

タグ:在り方

今日は、また心理について(脳の働きも加えて)書こうと思いますので、心理は興味ないからという方はスルーしてくださいね。

あなたは、幸せについて考えたことはありますか?

幸せは「自分で決めている」だけなので、物事の受け止め方、考え方で「幸せ」が決まるんです。

ですから、前向きで与えられているものを数えるのが上手い人は、幸せを感じる人が多わけです。

こういう方は、人や物を大事にし「感謝」が自然に湧くような人ですね。

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逆に、自分が幸せになるためにどうしたらいいか?という方は、目先の欲に左右され見返りや取引を求める傾向にあり、幸せを感じにくい。

そもそも五体満足であるということは「幸せ」ではないでしょうか?

病気や怪我をしたら、五体満足であることのアリガタミが分かるかと思います。

たとえば、小指1本でさえ切ったり折れたりすれば、激しい痛みとともに不自由な生活さを強いられることになりますよね。

感謝のあまりない方は、そういうことに気づかない。

いいことがあるときだけ感謝するんですよね。

お蔭様、お互い様という自然な「感謝」というのがない…

人間の脳はエネルギーの消費を嫌いますから、放っておくと楽な方を選択するようになっています。

脳は変化を好まないので記憶の流用によって結果を予測できる現状に戻そうとします。

脳は現状に留まることを目的に働くので、いいことがあるときだけ感謝するといった習慣がある方は、「幸せ」というのが実感しにくい。

脳は今までどおりが良いから現状維持しようとするし、そういう思考癖を持っていると「良い点」に目を向ける習慣がないため「悪いところばかり」に目がいきやすい。

愚痴の多い方というのは、大抵コレです。

自分を変えることができるのは「自分」だけ。

他人ができるのはサポートだけ。

人生を変え、環境を変えることができるのも自分自身です。

心理学には「承認欲求」というものがあるといわれており、人は「誰かに認められたい」という欲求を持っているといいます。

しかし、誰かが見てくれる期待して行動する方は、持久力に欠け継続できない傾向にあります。
 
もし、あなたに足りない所があるとしても、それは認めてしまえばいいんです。

それは、伸び代だから。

誰かのためではなく「自分のために」何かを始めることや自分を大切にすることも大事です。

日本人は、世界で最も「感謝」できる人の集まった国だと、私は思います。

そして、虐げられた人々、悲しんでいる人々のために損得なしに行動することができる。

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心ある民族。

そういう誇らしい民族だと思います。

 
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先日、根戸ウヨ子ちゃんが「みなさんにとってのヒーローって、どなたですか?」というツィートをしていたので「私にとってのヒーローは先帝陛下です」と伝えました。
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それで今日は、過去記事の再掲をしたいと思います。
過去に読んだよという方も、今一度お読みいただけると幸いです。

天下に水より柔弱(じゅうじゃく)なるは莫(な)し。

而(しか)も堅強(けんきょう)を攻むる者、これに能(よ)く勝る莫し。

その以(も)ってこれを易(か)うるもの無きを以ってなり。

弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫きも、能く行なう莫し。

ここを以って聖人は云(い)う、国の垢を受く、これを社稷(しゃしょく)の主と謂(い)い、国の不祥(ふしょう)を受く、これを天下の王と謂うと。

正言(せいげん)は反(はん)するが若(ごと)し。

(解釈)

この世に水よりも柔らかく弱々しいものは無いが、それでいて固く強いものを打ち破ることにおいて水に勝るものも無い。

その性質を変えることのできるものが存在しないからである。

弱いものが強いものに勝ち、柔よく剛を制すとは世によく知られたことだが、それを行うとなると難しい。

そこで「道」を知った聖人は言うのだ、「国家の屈辱を甘んじてその身に受ける者、その人が国家の主であり。

国家の災いを甘んじてその身に受ける者、その人が天下の王である」と。

本当に正しい言葉は普通とは逆の様に聞こえるものだ。 



任信第七十八では、水は、この世で最も弱い物質であると同時に、強い物質でもあると説いています。

それゆえに、強い者は、水と同じように弱い立場で「汚いものを引き受けられる人」であるということです。

綺麗事を並べるだけなら誰でもできます。

パフォーマンスだけがお得意な恥知らずの野党は、もやはお笑い芸人を超えている。

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野党に限らず、私の好きな哲学思想のブログでもそういう方がいる。

そして、大きなことだけいう。

まあ、騙るだけなら誰でもできる話ですからね。

「地球を守る!」などと書いてあると戦隊物の見すぎか?と疑いますが、スケールの大きいことだけいって、何もできないのだろうと思います。

平和や愛を騙るこの手の方は、SEALDsと同じに観えてしまう。

かつてSEALDsは「敵国が攻めてくるというのなら、とことん話して酒飲んで遊んで食い止めます」という迷言を吐いた。

その寝言を聞いて「やってみろよ」と思ったのは、おそらく私だけではなかったでしょう。

中心メンバーである奥田が、自分や家族に向けた殺害予告を受けて震え上がり、それまで散々毒づいていた警察に慌てて駆け込んだことは、よく知られています。

派手なパフォーマンスや綺麗事。

人から賞賛を浴びるために良いカッコをする。

そのくせ非難され屈辱を受けることは嫌い、立場が危うくなると真っ先に逃げ出す。 

汚いものは引き受けたくないという口先だけの連中です。

老子の説いた「汚いものを引き受けられる人」が、政治家を含め日本にどれほどいるでしょう?

それほど多くないでしょうけれど、私は、昭和天皇(先帝陛下)は、紛れもなく「汚いものを引き受けられる人」であったと思います。
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陛下は、たった一人通訳だけを連れてマッカーサーの前に立たれたのですが、マッカーサーは、陛下が命乞いに来たと勘違いし、パイプをくわえたままソファーから立とうともしなかった。

しかし、陛下は直立不動のまま国際儀礼としての挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』と。

敗戦国のトップなどは、命乞い・亡命が当たり前の時代。

だからこそ、陛下のこの言葉は、マッカーサーを驚かせ「天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」といわせた。

しかし、陛下は「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と、ご自身のことは何一つ願われなかった。

その後、マッカーサーは以下のように語っています。

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』大きな感動が私をゆさぶった。

死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」
(マッカーサー回顧録一九六三年)


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