心の風景

タグ:副読本

防衛省が韓国主催の国際観艦式への海上自衛隊派遣を見送ったのは、韓国側が求める自衛艦旗「旭日旗」の掲揚自粛という無理筋の要求を、到底受け入れることができないからだ。国内法や国際法に反する一方的な注文を諾々とのめば、国際社会での日本の信頼失墜にもつながりかねない。

「韓国の要求に従えば、日本は法に違反する国家となる。検討にも値しない」

 外務省幹部は派遣見送りの理由をこう語る。
 自衛艦旗の掲揚は自衛隊法で義務づけられ、国連海洋法条約も国籍と軍隊に属することを示す「外部標識」を掲げることを規定する。韓国の要求は「非常識」(海自幹部)との批判は免れない。

 もし要求に応じれば、日本の防衛に影響が出る可能性もある。制服組トップの河野克俊統合幕僚長は、自衛艦旗を「海上自衛官の誇り」と表現する。国際社会でも、主権の象徴である軍艦旗は最上級の敬意が払われるべき存在だ。

その重みを持つ自衛艦旗を、日本がやすやすと降ろす姿を他国はどう見るか。

 元海将の香田洋二氏は「中国は日本を『強硬に出ればすぐ退く国』とみて、尖閣諸島(沖縄県石垣市)への圧力を強めただろう。米国をはじめ友好国からの信頼も失う。派遣見送りは適切な判断」と語る。

 政府内には、自衛艦旗を掲げ観艦式に参加する強硬論もあったが、見送った。外務省幹部は「主催国である韓国の顔をつぶさないための、せめてもの措置だ」と語る。(産経新聞・石鍋圭)

(zakzak 2018.10.6)
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/181006/soc1810060005-n1.html

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今回の対応は至極まっとうだと思います。今まで散々譲歩してきた政府や外務省の弱腰姿勢が中韓をつけ上がらせてきたのです。

もう一歩も譲ってはなりません。

ここからは過去記事の加筆再掲になりますが、「竹林はるか遠く日本人少女ヨーコの戦争体験記(ハート出版)」の著者が、米国で在米韓国人によって吊るし上げられ糾弾されなくてはならなかった背景に在米韓国人の活動がありますが、日本政府も外務省も対応しなかった。

著者であるヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏は1933年、青森に生まれ、生後6ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ家族で朝鮮北部の羅南に移住し、1945年、敗戦間際に母、姉とともに羅南を脱出し女性3人で命からがら朝鮮半島を縦断して日本へ引き揚げた体験を1986年「竹林はるか遠く」として刊行しました。

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しかし、この本がアメリカで出版されて20年経った2006年の秋にボストン付近に住む在米二世韓国人たちが突然怒りを爆発させ「中学生の教材」として採用されていた内容について「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて本を教材から外す運動をあらゆる手段を使ってやり始めた。

20年も経った2006年の秋に在米二世韓国人たちが突然怒りを爆発からお分かりいただけるかと思いますが、いつも後から何年も何十年も経ってから突然怒りを爆発させるというオカシナことになっているわけです。

これは紛れもなく難癖であり事実無根だからこそ20年も経ってからだといえますし「慰安婦問題」と同じだといえると思います。

そして、月刊WiLL2017年10月号で高山正之氏と杉田水脈氏の対談に『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』のことが掲載されています。

世界中で日本叩き

(高山) 日本人が「反論しない」という例で言えば『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』という本にまつわるエピソードがある。ヨーコ・カワシマ・ワトキンスが、昭和20年8月9日からソ連軍の侵入から逃れるため、今の北朝鮮からソウルまで逃げていく実話。
 その引き上げのときの朝鮮人の乱暴狼藉が詳しく書かれている。朝鮮人がはじめて知った幸せな時代がある日、ソ連の侵略で破られる。日本が敗戦国になったとたん、朝鮮人警察官が幼い彼女の家に押し入り、金目のものを奪っていく。落ち延びて行く途中、多くの日本人が朝鮮人に襲われ、女は犯され、男が虐殺された。それを見たまま書いた彼女の本はアメリカの中学生の副読本になった。

(杉田) 以前はそうだったのですが、私がニュージャージーへ行った時、韓国人、韓国系アメリカ人が反発して『私がキョウコだったころ』という副読本に変えられていました。日本の統治時代にどれほどひどい目にあわされたかと言う内容の本です。

(高山) えー、本当?

(杉田) その時、日本人は反論しなかった。ニュージャージーは今、6割近く韓国人が占める小学校があって、韓国人だけのPTAがあるようです。そのようなところから圧力がかかって副読本を変えられた。

(高山) そうなのか。米国で生活していたカワシマ・ワトキンスは数年前、彼女の書いた内容がおかしいと在米韓国人に非難され、ボストンの集会所へ呼び出されて吊るし上げられた。そこには在米韓国人と韓国の特派員、それから韓国の外交官も来ていたけれど、日本の特派員の外交官もだれ1人来なかった。

(杉田) ひどい話ですね。

(高山) たった1人でヨーコは糾弾されて、謝罪を強要された。在米韓国人はこの糾弾集会をきっかけにボード・オブ・スクール(日本の教育委員会)にねじ込んで「ヨーコ物語」を副読本から外せと大騒ぎした。その時はさすがに米国は要求を蹴った。

(杉田) 副読本が変えられたのはその後です。去年行った時に聞きました。うんざりする話です。

(高山) 『私がキョウコだったころ』はたぶん、それで「ヨーコ」を打ち消す意図で編み出されたのだろう。その時に、なんで日本の特派員になり外務省のスタッフが抗議に行かなかったのか。そこできっちり説明して、日本の新聞は大きく取り上げて書かなければいけない。反論というのはそういうものでしょ。

もう被害者の顔をして世界へ向けて日本を貶めようとする韓国の好き勝手を許してはなりません。

これを気に中韓の顔色を気にしていた弱腰外交から脱却しなくてはいけません。



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上記は私の固定イツィートですが、「竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」(ハート出版)を知る方は多いけれど、その著者が米国で在日韓国人によって吊るし上げられ糾弾の場に「たったひとり」で行かなくてはならなかったことを知る人は少ないでしょう。

まず著者であるヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏について少し書いておきたいと思いますが、ご存知の方は文を読み飛ばしていただいて結構です。

ヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏は、1933(昭和8)年、青森生まれ。
生後6ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ家族で朝鮮北部の羅南に移住。

1945 (昭和20)年、敗戦間際に母、姉とともに羅南を脱出し、女性3人で命からがら朝鮮半島を縦断して日本へ引き揚げた方です。

戦後、満州や朝鮮から引き揚げた人たちが、どんなに苦労したかどれほど辛く悲しい思いをしてきたかは、引き揚げについて書かれたものを読まれた方ならよくご存知のことでしょう。

ヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏も例外ではありませんでした。

帰国後は、お母様の強い要望で京都市内の中学校に入学しましたが、引揚者は当時、何も持たず帰ってきており、彼女のご両親の親を頼るにも戦争で亡くなられていたのです。

帰る当てもなくなり、お母様も疲労と衰弱から亡くなり、小さな女の子にとってどれほど心細く辛い日々だったことでしょう。

服も靴も同じものを着古して乞食とクラスメイトからイジメを受けていました。

それでも働きながら学問に励み卒業し、大学夜間部で英文学を学び、卒業後米軍基地で通訳として勤務、結婚し渡米後に米国の子供たちに日本文化を伝える活動した。

そして、1986 (昭和61)年「竹林はるか遠く」を刊行し、米国教育課程の副読本として採用され多くの子供たちに親しまれることになったのです。

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この本がアメリカで出版されて20年経った2006年の秋。

ボストン付近に住む在米二世韓国人たちが突然怒りを爆発させ「中学生の教材」として採用されていた内容について「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて本を教材から外す運動をあらゆる手段を使ってやり始めた。

さらに、著者の父親が「731部隊に所属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送った悪者である」といった事実に反することも言い始めた。

そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったといいます。

「竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」(竹林はるか遠くは、続編もあるのでこちらもお勧め)を読んだ人であれば、在日韓国人や駐在韓国領事が言っていることがデタラメで捏造されていると分かるはずです。

ヨーコ氏は、本書の中でも「個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのもの」と書いています。

そして、この物語の中で「自分たちの身の危険もいとわずに兄の命を助けて保護してくれた朝鮮人家族」のことを語っています。


嫌韓、嫌中という方は多いと思いますし、日本人が嫌う言動が目立つ人種であり、よく問題を起こす人種だということは忘れてはならないと思いますが、改めて書いておきたいのは、多くの良くないシナ・朝鮮人のせいで少数派の親日である中国・朝鮮の方たちまで悪者にされてしまうのは間違いです。

彼らは、親日であるがゆえに同じ民族の人間から酷い仕打ちをうけたり、韓国などでは「日本の統治時代が良かった」と言っただけで半殺しの目にあった方もいるのです。

そこだけは、皆様も冷静にものを見ていただきたいと願います。

さて、話を戻しますが、月刊WiLL2017年10月号で高山正之氏と杉田水脈氏の対談に『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』のことが掲載されていましたので一部を抜粋します。

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世界中で日本叩き

(高山) 日本人が「反論しない」という例で言えば『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』という本にまつわるエピソードがある。ヨーコ・カワシマ・ワトキンスが、昭和20年8月9日からソ連軍の侵入から逃れるため、今の北朝鮮からソウルまで逃げていく実話。
 その引き上げのときの朝鮮人の乱暴狼藉が詳しく書かれている。朝鮮人がはじめて知った幸せな時代がある日、ソ連の侵略で破られる。日本が敗戦国になったとたん、朝鮮人警察官が幼い彼女の家に押し入り、金目のものを奪っていく。落ち延びて行く途中、多くの日本人が朝鮮人に襲われ、女は犯され、男が虐殺された。それを見たまま書いた彼女の本はアメリカの中学生の副読本になった。

(杉田) 以前はそうだったのですが、私がニュージャージーへ行った時、韓国人、韓国系アメリカ人が反発して『私がキョウコだったころ』という副読本に変えられていました。日本の統治時代にどれほどひどい目にあわされたかと言う内容の本です。

(高山) えー、本当?

(杉田) その時、日本人は反論しなかった。ニュージャージーは今、6割近く韓国人が占める小学校があって、韓国人だけのPTAがあるようです。そのようなところから圧力がかかって副読本を変えられた。

(高山) そうなのか。米国で生活していたカワシマ・ワトキンスは数年前、彼女の書いた内容がおかしいと在米韓国人に非難され、ボストンの集会所へ呼び出されて吊るし上げられた。そこには在米韓国人と韓国の特派員、それから韓国の外交官も来ていたけれど、日本の特派員の外交官もだれ1人来なかった。

(杉田) ひどい話ですね。

(高山) たった1人でヨーコは糾弾されて、謝罪を強要された。在米韓国人はこの糾弾集会をきっかけにボード・オブ・スクール(日本の教育委員会)にねじ込んで「ヨーコ物語」を副読本から外せと大騒ぎした。その時はさすがに米国は要求を蹴った。

(杉田) 副読本が変えられたのはその後です。去年行った時に聞きました。うんざりする話です。

(高山) 『私がキョウコだったころ』はたぶん、それで「ヨーコ」を打ち消す意図で編み出されたのだろう。その時に、なんで日本の特派員になり外務省のスタッフが抗議に行かなかったのか。そこできっちり説明して、日本の新聞は大きく取り上げて書かなければいけない。反論というのはそういうものでしょ。


高山氏の「反論とはそういうものでしょ」が胸に刺さりました…

日本人は、自分が悪者にされても我慢したり言いたい奴には言わせておけという方も少なくありませんが、反論しないことで誤解が広がっていくケースがあることは皆様も経験があるのではありませんか?

捏造や嘘の歴史で日本を貶め、世界へ発信しする中国・韓国・朝鮮・ロシアに関しては徹底的に戦う!反論する!という姿勢を見せなくてはなりません!

ヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏の真実を捻じ曲げ「竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」を副読本から外させたことを忘れてはなりません。

南京大虐殺なども同じように世界へアプローチされていることを覚えておいてください。

我々は、これら事実に基づかない歴史の捏造について断じて沈黙してはならないのです。



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