心の風景

タグ:中国

今日ツィッターを見て「またパンダをレンタルするのか?」と政府に対し声をあげたくなりました。

パンダの新規貸与要請へ 中国前向き、関係改善の証し?  10/17(水) 20:55配信  

安倍晋三首相が、26日に予定されている中国の李克強(リーコーチアン)首相との会談で日本に新たなジャイアントパンダを貸与するよう求めることがわかった。これまでの事務レベルの調整で、中国側も前向きに検討する方針を日本側に伝えており、首脳会談をきっかけに貸与する日程や頭数などの協議が本格化する見通しだ。

 パンダの新規貸与が実現すれば2011年2月以来。受け入れ先は、神戸市の王子動物園や仙台市の八木山動物公園が想定されている。頭数によっては、どちらかの施設に限られる可能性もある。来年に予定する習近平(シーチンピン)国家主席の訪日の機会に正式合意する案もある。実現すれば、両国の友好ムードが一層高まりそうだ。

 中国は1972年の日中国交正常化の際にパンダを贈るなど「パンダ外交」を展開してきた。日本政府関係者は「中国が貸与に前向きなのは、習指導部が日本との関係改善に本腰を入れている証しだ」とみる。(2018.10.18朝日新聞デジタル)
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6300403

情報ソースが、朝日デジタルだと「また都合の良いように書いてるのでは?」とマトモな感覚の人なら疑いますよね。

なので、下にユーチューブにアップされていた菅氏の発言をお聞きください。




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ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、ジャイアントパンダはチベット国のパンダです。

中国共産党の侵略によってチベットから奪われ、パンダ外交として利用されています。

現パンダが、唯一自然界に生息する現生息地は四川省成都西は、1950年代に中国人民解放軍が侵攻した地であり、チベット併合前の中国内にはパンダはいないんです。

侵略によって他国の財産を奪い取る侵略国家がChinaです。

国有財産、民族の伝統・文化を奪い、支配し監視下に置く。

日本では「チベット自治区」と呼ばれていますが、チベット自治区だけでも123万㎢ありチベット本来の範囲は広大な面積です。

四川省西半分はチベット高原で、それは省都である成都のすぐ西から始まり成都から南西に240㎞ほどのところにあるミニヤ・コンカ山の標高は7556m。

成都は古くからシナ人が居住し三国志の蜀の都ともなったところです。

シナ人は「チベット高原」に上ることができず、高原はチベット人の世界であり、パンダは、このチベット高原の東端の地域に生息している動物です。

チベット侵略によって、パンダが日本にレンタルされ外交に利用されていることを考えれば、パンダ可愛い、日本へようこそ!と喜べるでしょうか?

声をあげてください。

日本は、チベットから奪ったパンダはいらないと!


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昨日の記事に書きましたが、常に仕掛ける側があり、略奪、虐待、強姦、虐殺が繰り返され、その中でも中共は「他民族虐殺、他宗教虐殺」の歴史しかありません。

「他民族虐殺、他宗教虐殺」の歴史については、今週末くらいに書けるといいなと思っていますが、その前に「南京大虐殺の嘘」について
鈴木史朗氏が書かれた記事をご紹介したいと思います。

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鈴木氏は今年「正論 緊急特大号 8」にも記事を掲載されており拝読いたしましたが、
鈴木史朗氏の「南京大虐殺」はなかったのだという強い思いを感じずにはいられませんでした。



【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】
 〈もう一度南京へ〉

 TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。

 撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。

 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。

 この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。

 ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」

  他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードやをお話しいただきました。「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」、「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」。

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」。

 そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。

 〈天津での日々〉

 私は、一九三八年(昭和十三)年二月十日に京都で生まれました。直後に、父が「大陸で一旗挙げたい」といって、それまで勤めていた有名な生命保険会社を辞めて単身、大陸へわたったのです。残された母は、私が一歳になるのを待って、一九三九年四月頃までには大陸へわたりました。南京戦が行われたのが一九三七年十二月のことですから、その一年半後には、もう私の母は女一人、子供を抱いて中国にわたっていたことになります。



 そして、天津の日本人租界での暮らしが始まりました。元々フランス人租界だったところを日本人租界にしたそのあたりは非常にのどかで、その様子が伺える当時の写真も数枚残っています。引き揚げの時に持ち出しを禁止されたので、写真はかぎられたものしか残っていませんが、一枚目(上)は天津市淡路街という日本人租界の民団住宅前で撮影したものです。私と二人の妹と、近所の中国人の子が一緒に写っています。中国人の子の母親が非常に良くしてくれて、妹たちにおそろいの中国服を作ってくれました。

 もう一枚(下)は天津市須磨街の自宅付近で撮ったもの。近所の中国人の楊車(輪タク)夫が楊車に私たちを乗せて遊ばせてくれている光景です。背景も写っていますが、近所の中国人もよく日本人租界へやってきて、「日本人街の水道はきちんと整備されているから」などといって、水道の水などをもらって帰っていました。

 「天明公社」という貿易と軍需関係の合弁会社を設立した父の事業もうまくいっていて、わが家は結構裕福な暮らしをしていました。父が行き倒れになった中国人夫婦を助けて、自宅のガレージの一角に部屋を作って住まわせていたこともありました。その夫婦は恩義に感じてくれたのか、三人の子供にそれぞれ「小一」「小二」「小三」と日本風の名前を付けていて、私と同じ歳だった「小二」とはよく遊んだ思い出があります。

 当時の天津は本当に安全で、私は子供の足で歩いて二十分ほどの幼稚園まで、毎日一人で通っていたほどでした。道すがらの中国人が私に対して何かを言ってきたり、身の危険を感じるうようなこともありませんでした。虐殺などが本当に起こっていたとすれば、日本人に対して何らかの罵声が浴びせられたり、少なくとも親から「一人で出歩いては危ない」などと言われたはずですが、そのようなことはありませんでした。

 それどころか、中国人に助けてもらったこともあります。家の近くを運河が流れていたのですが、土手でかけっこをして遊んでいて、川に落ちてしまった。溺れていたところを中国人の船頭さんが助けてくれて、自宅まで連れて帰ってくれたのです。川の水を飲んで赤痢(せきり)にはなってしまいましたが。

 たまに町で日本兵を見かけることもありましたが、中国人の友達も「カッコイイね。僕も将来はあんな兵隊さんになりたい」ということを言っていたくらいで、規律正しい日本兵の姿には、中国人も日本人も、ある種の敬意と畏(おそ)れを持っていたようです。天津には七年間住んでおり、子供ながらにシンガポール陥落など戦況についてよく話していましたが、「南京大虐殺」については一度も聞いたことがありませんでした。

 〈中国人女性にモテた父〉  

  父の会社の本社や事務所があった北京にも時々行きました。王府井(ワンフーチン)界隈の大通りに面したところに事務所がありましたが、当時の北京は賑やかで華やかで、やはり穏やかでした。太ももまでスリットの入ったチャイナ服の中国人の女性が自転車で走り去るのを見て、子供心に「すごいお姉さんだなあ」と思っていた記憶があります。

 父は、とにかく北京では中国人女性にモテてモテて、母はとても苦労していたようです。父は俳優の上原謙のような男前でしたし、明治の男ですから仕方がないとはいえ、恋愛結婚で一緒になって、大陸まで父を追いかけた母にとってはたまらなかったでしょう。

 ただ、もし本当に南京で日本人が民間人の大虐殺を行い、女性を強姦していたとしたら、中国人女性が日本人男性である父にそれほどまでにほれ込んだりはしなかったでしょうし、中国人同士の間でも「日本人なんかに熱を上げて」と非難されたはずです。しかし、そのようなことは全くなかったばかりか、父は中国人のためにも一所懸命働きましたので、老若男女問わず、中国人からは非常に尊敬されていたのです。

 〈南京ののどかな光景〉

 胡同(フートン)にある本社の隣には、北京の警察署がありました。父と署長は仲が良く、どこかへ一緒に列車で出かけたこともありました。署長さんはお金持ちだったからか、一号さんと二号さんを隣りに乗せていて、どちらもとても素敵な女性でしたが、口紅ばかり塗っていて子供の私には目もくれず、冷たくあしらっていました。「可愛がってくれないんだなあ」と思ったのを覚えています。

 しかし、そう感じたということは、逆に言えばそれ以外の中国人の大人たちは、日本人である子供の私を非常に可愛がってくれていたということでしょう。 三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。

 「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」

 また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」

 この話は非常に印象的だったのですが、後のこの話に通じる事実があったことを知りました。あのジョン・ラーベも日本軍宛に「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っており、報告書でも、日本軍からの米と小麦の配給があったことに触れています。

 もし本当に大虐殺が起こっていたとしたら、いくら書簡の挨拶文とはいっても「感謝」など示すはずがありません。


 〈命からがら引き揚げ〉

 歴史的根拠に関して言えば、二〇〇七年十二月に出版された『WiLL』増刊号「『南京大虐殺』に終止符!」で、映画『南京』が紹介されています。私もこの映画を見ましたが、あの映画ののどかな光景は、まさに私が天津で暮らしていた頃の記憶と重なるのです。とてもじゃないが、「虐殺があった」とは思えない光景が記録されています。

 増刊号でチャンネル桜の水島総氏も指摘されているとおり、この映画にはワイドショットが多用されているのですが、報道記者としての経験から言っても、ワイドショットでは不都合なものがあった場合、それが映りこんでしまうので、ドキュメンタリーを撮る場合には普通、あのような撮影はしません。「不都合なものなどない」から、安心してワイドショットで撮影していたのだと分かります。

 優しく、子供好きの日本兵、そして日本人と中国人が楽しそうに交流している様子。もし本当に虐殺があったなら、中国の人々も日本兵も、あのような自然な笑顔で交流することなどできなかったはずです。

 終戦を迎えると、さすがに中国人は現実的ですから、コロリと態度が変わりました。わが家に住んでいた中国人家族も、「引き揚げるなら財産を全て置いて行け」などと言いだしたほどです。こちらはせめてと思い、財産と引きかえに「持って帰ってはいけないといわれているので、写真を後から日本へ送ってほしい」と撮りためた写真を託したのですが結局、届きませんでした。送ってくれなかったのか、それとも没収されてしまったのかは分かりません。

 それどころか、父は貿易と軍需の会社をやっていた関係でスパイ容疑をかけられて逮捕、拘束されてしまいました。一番下の妹は三カ月くらいで出発前に死んでしまいましたし、父が死刑になるかどうかも分からない状況のなか、私と母はとにかく引き揚げなければということで、私は両手に妹を連れて、母は父の荷物まで一緒に背負って塘沽(タンクー)の町まで二週間かけて歩きました。銃撃を受けながら、ろくなものも食べられない状況での過酷な「行軍」だったのです。

 幸いなことに、父は共同経営者だった中国人が「鈴木(リンムー)先生は日中のためによくやってくれた。鈴木先生をこのまま殺したら、子々孫々から恨まれる」と一所懸命動いてくれたので刑を免れ、港で合流することができ、何とか一家で日本へ引き揚げてきたのです。

 〈テレビ局の「自主規制」〉

 命からがら日本へ帰った私は、その後大学へ進学し、TBSに入社しました。仕事が忙しく、その後中国を訪れることもなく、日々の生活に追われて天津での日々を振り返る暇もなかったほどでした。社会部で仕事をしているなかで、ふと気がついて周りを見渡したときには、「虐殺はなかったんじゃないか」ということすら言えない雰囲気が出来上がっていました。それがテレビ局の「自主規制」なのか、自虐史観を刷り込まれているからなのか、はたまた中国の謀略にかかってしまったからなのかは分かりません。

 局にいる間はこのことで揉めたこともありましたが、TBSを卒業してからは「もう何を言ってもいいだろう」ということで、講演などでも自分の経験からのお話をさせていただいてきました。それでも、雑誌やテレビが「私が経験から南京大虐殺などなかったと思う理由」について取り上げてくれたことは一度もありませんでした。

 以前、日本テレビ系列の『オジサンズ11』(〇七年十月~〇八年九月まで放映)という番組に出演していた時に、制作プロダクションから「何か番組で取り上げるテーマはありませんか」と聞かれたので、映画『南京』を取り上げてはどうか、と提案したことがありました。

 この映画は他の局で放映されたことはないし、これまでの「南京」のイメージが覆(くつがえ)る。南京の真実が伝わるだろうと思ったのです。プロダクションのスタッフが話に乗ってくれて、私は本当に嬉しかったんです。「これで真実が全国に広がるきっかけになる」と思っていたのですが、会議で上の人間から何か言われたのでしょう、有無を言わさず却下されてしまいました。その後はスタッフが私を見る目が変わり、目が合っても顔を背けるようになってしまった。非常に悲しかったですね。

 報道に携(たずさ)わる以上、「真実」に近づき、「真実」を伝えることが使命だと分かっているはずです。にもかかわらず、「検証」すらせず、中国のプロパガンダ、「嘘」に加担し続けるというのは、報道人としての風上にも置けません。すでに中国の手が回っているのかもしれませんが、「真実」を伝えることが報道に携わるものとしての、いや人間としての務めではないでしょうか。

 〈日中の未来のために〉

 「南京大虐殺」のような「嘘」があるかぎり、日中が手に手を取ってやってくことはできません。日本と中国は永遠に隣同士ですから、その関係を悪化させる中国の反日プロパガンダ、反日教育はたださなければなりませんし、このような状況は日本にとっても中国にとっても、「最大の悲劇」としかいいようがありません。

 私にとって、中国は「第二の故郷」なのです。その中国の方々が、このような「嘘」を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです。映画『南京』の冒頭には、このような字幕が流れます。「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入場は燦然(さんぜん)たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」。

 我々は、どんなに時間をかけても「南京大虐殺は真実ではない」と伝えていかなければならない。それが「我々の子孫」……つまり日本人の未来のためであり、中国人のためでもあるのです。 

 筆者 鈴木史朗


ユネスコ世界記憶遺産として登録されてしまった「南京大虐殺」はなかったという「歴史の真実」を拡散し、誤った歴史観で日本や日本人を憎んでいる人々に歴史の真実を伝えなくてはなりません。

韓国の慰安婦問題なども同じで日本や日本人を貶めるためにやってもないことをでっち上げた。

偽りの歴史を叩き込まれ育った者たちが、日本人というだけで憎み「日本人には何をしてもいい」という感情を持っています。

皆さまもご存知のように、中国、韓国(在日)は圧倒的にそういう人間が多く、彼らは日本の仏像を破壊し、日本女性をレイプし、日本人を殺害している。

国内で起きている事件は、韓国・中国の割合が非常に高く、犯罪が後をたたない。

歴史を捏造する中韓と、この国の左翼や朝日新聞によって、現在に及ぶまで事実に基づかない「中傷」と「不利益」を被っている現実がありますが、中韓との情報戦に負けてはならないのです。

日本を守り他国の人々のために命をかけた先人たちに汚名をきせてはならない。

我々は、どんなに時間をかけても「南京大虐殺は真実ではない」という事実を伝えていかなければなりません。


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2009年7月5日は、東トルキスタン(ウイグル)の中心都市ウルムチで行われたウイグル人の平和的な抗議行動がありました。

しかし、中国当局の軍・警察の過剰な武力行使によって残虐に制圧され数千人のウイグル人がウルムチの町で殺害され殆どのデモ参加者や当時街で見物していた人達も含めてが逮捕された。

その後も、東トルキスタン(ウイグル)全土における大逮捕キャンペーンによって大量のウイグル人が投獄され、その多くは中国の杜撰な法体系により死刑が執行され、また多数の人達は行方不明となっている。 

そして、洗脳のための収容キャンプには150万人を超えるウイグル人が監禁されているといわれている。

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拙ブログ(およびツイッター)では、中共政府による「弾圧」に苦しむ多くのアジアの人たちについてシツコクあげていますが、中共の「弾圧」とはどのようなものか?

アトムさんの「つぶやき」をよく見てほしい。

でも、この映像にあるのは、まだ優しい…


この弾圧をほおっておくことが、日本の危機にもつながることに気づいてほしい。

そして、日本が侵略されれば「反日感情」を植えつけられ育った中共政府の弾圧は「この程度」ではすまない。

中国が日本の領土を売買していることは、多くの保守の方は知っているはずです。

それが、どれほど危険かもご存知ですよね?

去年くらいから中国の動きが非常に目立ってきていますよね?

去年7月には、「尖閣周辺に2日連続で中国公船」 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で7日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。

尖閣周辺で中国当局の船が確認されるという記事の絶え間ないことに、中国がいよいよ日本を奪いにきているという危機感をもっている方はどれほどいるのでしょう?

領海侵犯を産経が、ほぼ毎日記事をアップしていますが、領海侵犯の位置がより接近し「確認されたのは初めて」が増えていったのが2017年です。

そして、領空も危機的状況にある。

2017.4.13の産経には以下のような記事がアップされている。

防衛省統合幕僚監部は13日、平成28年度に日本領空に接近した軍用機などに航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)した回数が、前年度比295回増の1168回だったと発表した。

 昭和33年に緊急発進を開始して以来最も多かった59年度の944回を大きく上回り、過去最多となった。中国機に対する発進が851回(同280回増)で同様に過去最多を更新し、全体の回数を押し上げた。領空侵犯はなかった。

 ロシア機に対する発進は301回で平成27年度(288回)からは微増となった。台湾機は前年度から6回増の8回。北朝鮮機は25年度に9回を記録してからは発進実績がなく、28年度も0回だった。対象機は戦闘機、爆撃機、哨戒ヘリコプター、情報収集機などだが、中国機はスホイ30などの戦闘機、ロシア機は爆撃機が多かった。

 今年3月2日には中国軍機計13機が沖縄本島と宮古島の間を往復飛行するなど、中国は活動空域を西太平洋側まで広げつつある。河野克俊統幕長は13日の記者会見で「中国軍の近代化の趨勢(すうせい)を考えると、この傾向は続くと考えている」と述べた。

https://www.sankei.com/politics/news/170413/plt1704130018-n1.html

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領海・領空とも増加傾向にあるのは、チャンスがあれば武力行使しようと目論んでいる。

彼らは、どれくらいの速さで日本側が対応するか常に日本における自衛隊の力をうかがっている。

シナは、日本周辺の海洋資源が欲しい。

あの国は、そうやって他国の領土・財産・資源を奪って潤ってきた。

海洋資源を狙っているのは周辺諸国も同じで、親日である台湾でさえ与那国島(沖縄県与那国町)周辺を調査しており、反日の韓国は竹島(島根県隠岐の島町周辺で調査を実施し、ロシアも北海道の宗谷岬沖で調査した可能性がある。

日本は決して平和などではなく、平和に見える日本の影で海保や自衛隊の努力によって守られているに過ぎない。

尖閣諸島がシナの領土になれば、そこから200カイリの排他的経済水域内がシナの海洋国土になるばかりでなく、天然資源の宝庫といわれる東シナ海は喉から手が出るほど手に入れたい領域です。

だからこそ沖縄にある米軍基地は目障りで仕方ない。

シナに足元をすくわれないよう日米同盟関係の強化が重要であり「米軍基地は要らない」などと反基地運動を繰り返している輩を追い出さなくてはならない。

野党が反対し三大紙の論調は全て反対というスパイ防止法、自衛隊の足かせとなっている憲法改正は急務!

彼らはどのように侵略するのか?

侵略後、何をするのか?

平和憲法などというものは「侵略国家」の前には幻想です。

南モンゴル・ウイグル・チベットへの弾圧は激しさを増している。

最近、ツイッターなどの「言論弾圧」が騒がれていますが、侵略されれば「言論弾圧」どころの騒ぎではなくなるんですよ?

盗聴され、監視され、DNAを収集され、声さえあげられない…

あげれば「家族を含めた残虐な拷問および洗脳」が待っている。

日本は、今、声をあげられる国なんです。

今やらなきゃ、いつ声をあげるんですか?


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物事は、ただ見ている聞いているだけなら記憶から消し去られていきます。

しかし、人はいつまでも悲しみや苦しみに浸って過ごしているわけにはいきませんから「忘れる」という能力も大切なんですね。

記憶のシステムは生死に関わる重要な出来事でなければ忘れるようにできていますから、よく耳にする「○○事故」から○○年なども、よほどのことでなければ覚えている人も少ないでしょう…


けれど、覚えておかなくてはならないことがあります。


日本は「憲法9条で守られている」わけではなく「戦争をしないと憲法で規定しているから攻められない」わけでもありません。

憲法9条で守られているなら尖閣周辺の領海領空侵犯をどう説明するのでしょう?

日本が争いを好むと好まざると関係なく、我々の意思とは関係なく話し合いでは済まない国々があることを覚えておかなくてはいけません。

そして、そういう連中が日本女性にしたことも忘れることはできません。

下記に旧ソ連軍の蛮行を転載しますが、こうした蛮行はシナによってウイグルやチベット、内モンゴルで起きており、ベトナム戦争で韓国軍が非武装の民間人女性にした蛮行も同じです。

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戦後の日本ではアメリカ兵によるレイプも横行し…戦禍に巻き込まれること、侵略されるということは、タイトルに書いたように「道徳も教養も平和な中にのみある」のだということを覚えておいてください。

「読者手記 53編」 文藝春秋・特別号 1983.9掲載
新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。 そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったらそんなものは何の役にもたたないのだ。

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私たちは日本という国を先人から受け継ぎ、そして、後世に残さなくてはなりません。

世界の情勢を見れば、外交や交渉、話し合いの努力はほとんど意味をなさず拉致被害者も40年かけて未だ取り戻せていません。

多くの国々が未だに「外交とは軍事政策である」と考えているように力(武力)による駆け引きは、外交に重要なのです。

政府は、国民の生命・財産・生活を守らなければならない責務があり、自衛防衛の面で想定外という言い逃れは許されません。

憲法改正は急務であり国として必要な自衛手段を実現し防衛が盤石になれば、それだけ外交力の後押しとなります。

国民の生命・財産・生活を守る強い日本、拉致被害者を返せ!といえる強い日本を取り戻したい。

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拙ブログでは、より多くの方に読んでいただきたいブロガーさんの記事のご紹介しています。
今回は「マダムの部屋」さんのブログから「政府の弱腰が一番の問題をご紹介させていただきたいと思います。
 
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 中国に乗り入れている航空会社44社に対して、中国の航空当局が行き先の表記をこれまでの「台湾」から「中国台湾」に変更するように圧力をかけたことを知っていますか?

 もしこの変更に応じなければ、中国の国内法で「処罰」する、というのですから、これは圧力ではなく「恫喝」以外の何者でもありません。

外国の航空会社に対して自国の勝手な言い分に従わなければ処罰する、というのは内政干渉なので、単に民間企業の判断に任せておけばいい、というレベルの問題ではありません。

 菅官房長官は「政府が民間企業の活動に対し、強制力をもって特定の政治的立場に基づいた措置を取るよう要求することは好ましくない」と述べたそうです。

当然と言えば当然のコメントですが、もっと具体的な措置を取ってほしかったです。今回の件で日本航空と全日空が、結局は中国の圧力に屈したことで非難されていますが、航空会社にとってはドル箱の中国路線を失いたくないのは当然なので、企業だけを責めるのは酷だと思います。問題は政府の弱腰です。

 アメリカ政府はアメリカの航空会社3社に対して「中国の要求を無視するように」求めたそうです。トランプ政権の台湾政策は非常に明快で、爽快です。

日本は台湾のかつての宗主国だし、安全保障という観点からも日本と台湾は運命共同体なのに、安倍政権の台湾政策はイマイチ、というかかなり冷たく感じられて残念です。

 もちろん安部政権が台湾に対して何もしていないわけではありません。日本と台湾は国交はありませんが、台北に事実上の大使館に当たる建物を置いています。

去年(2017年)5月17日、その建物の名称を安部政権は「亜東関係協会」から「台湾日本関係協会」に変えました。

それまで「台湾」という言葉を使うことすらできなかったのですから、これは大きな前進でした。その二か月前の3月25日、赤間二郎総務副大臣が食品・観光イベントの開幕式に出席する、という名目で台湾を訪れました。

日本の政府要人が公務で台湾を訪問するのは初めてだそうで、これも大きな一歩でした。しかし、トランプ政権になってからのアメリカの台湾政策が非常に積極的になっているので、それに比べると日本政府の動きが何かオドオドしているような歯がゆさがあります。

 6月12日、世界は米朝会談の話題で持ちきりでしたが、実はこの日、台北にアメリカの大使館に当たる建物が完成しました。

アメリカは台湾と国交はありませんが今年初めに「台湾旅行法」という法律を制定し、アメリカ政府の高官と台湾政府の高官はいつでも往来できるようになりました。それを受けての「新大使館」が完成したのです。ここにアメリカの海兵隊が常駐するという話も浮上しています。

 党内に親中派(媚中派)が多い自民党ではこの程度の対応しかできないのでしょうか。政府はもっと台湾を守る姿勢を打ち出してほしいです。 


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今回こちらの記事をご紹介したのは、企業の力だけでは今の時代どうにもならない部分があるということや企業だけを責めたところで早期問題の解決にはならないからです。

外国による日本企業乗っ取り産業スパイなど日本を支えてきた企業が狙われています。
日本を乗っ取る工作活動は、左派メディアや反日野党だけが起こしているのではありません…日本を守りたいなら日本企業の買収や企業姿勢の傾きにも注視しなくてはなりません。
 

拙ブログの読者の方であれば「またか?」と思われるかも知れませんが、以前お伝えしたように南京大虐殺についてはシツコク書いていく予定ですので「またか…」と思われる方も、ぜひお付き合いください。

人は「一度読んだら分かった気になる」ものですが、読んだだけでは他人に説明することはできないでしょう。

理解というのは、他人に説明できてはじめて理解しているというのだと私は思います。

しかし、記憶のメカニズムとして「人は生死に関わるような重要な情報以外は瞬く間に忘れていく」ようにできいますから、人から教えてもらったりすると「覚えているつもり」になり、また同じことを聞くということがあります。

凄く馬鹿にされて悔しかったとか、大切な人を失ってとても辛かった悲しかったという情動が記憶と結びついていると深く記憶に刻まれて忘れにくくなります。

ですから、英語圏の外国人の恋人ができると途端に英語がうまくなる方がいるわけです。

以前、村上春樹氏が「南京事件」について書かれた小説が物議をかもしましたが、私は村上春樹氏の小説には興味がないので読んだことはありません…

しかし、世界的にも知名度の高い村上春樹氏の著書が出版されたことで、誤った歴史観が世界に飛び火しないことを願いました。

南京大虐殺は「通州での日本人の惨事と中国人を入れ替えた史実」ではないかと私は考えており、歴史的に見てもシナでは近代まで引き継がれてきた残虐な行為を日本人がしたとは到底考えられません。

また、通州事件のときは、どの新聞も一面で取り上げられていたのに対し、陥落当時の人口は「20万から25万」という当時の人口より多い30万人もの南京大虐­殺があったというのに、その記事は全く新聞に載らなかった ことも不自然です。

1938年、蒋介石が外国の記者と300回に及ぶ会見で一言も南京のことは言及していないことからも、もし30万人もの南京大虐­殺が事実であったなら、そのとき激しく抗議をしていなければおかしいのです。

南京大虐殺など起こっていなかったと考えれば辻褄が合いますし、それだけの事件であれば、当時、大変な騒ぎになっていたはずでしょう。

日本は、敗戦後、自虐史観を植えつけられ誤った歴史観を抱いている方がいますが、誤った歴史観から脱却しそういう虐殺・殺戮が得意な国は何処か?ということを知ってください。

東京裁判は、日本のためアジアの独立のために命をかけた人々を戦犯とし、戦勝国が見せしめのリンチをした。

その際に、証人として発言したマギー牧師は、サトン検事の質問に従って、南京市内で日本兵がおこなった一般市民に対する殺害や婦女暴行について事細かく証言していますが、200,000人に及ぶ中国人の安全地区にいた間に牧師は、100件以上の事件を生々しく伝えておきながら、自分で実際に見た事件はたった3件(殺人1、窃盗1、婦女暴行1)しかなく、後は被害者から聞いた話だと証言した。

そして、直接の被害にあったと言うものは1人も証人として現れなかった。

東京裁判では、直接の被害者ではなく被害者から聞いた話を伝えただけの人間が証人として立った。

この間に日本の新聞やラジオは、毎日のように南京事件のニュースを全国に流しましたが、証拠として価値のないものばかりでした。

また、ウェップ裁判長は、弁護側の証人に対しては邪魔をするように何度も口を挟み時間を制限し検察側の証人についてどんなものでも受け入れた。

南京大虐殺を始めとして東京裁判では、でたらめな証言をする証人が多かったのですが、その理由は、この裁判では嘘をついても偽証罪に問われることがなかったからです。

東京裁判は白人に楯突いた日本人を二度と歯向かわせないための復讐でありリンチであり、そのため南京大虐殺という捏造した歴史が利用されたのです。

私は、全ての人に歴史の真実を知ってほしいと願います。
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 鈴木史朗氏 【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】

 〈もう一度南京へ〉
 TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。

 撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。

 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。

 この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。

 ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」

  他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードやをお話しいただきました。「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」、「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」。

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」。

 そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。

 〈天津での日々〉

 私は、一九三八年(昭和十三)年二月十日に京都で生まれました。直後に、父が「大陸で一旗挙げたい」といって、それまで勤めていた有名な生命保険会社を辞めて単身、大陸へわたったのです。残された母は、私が一歳になるのを待って、一九三九年四月頃までには大陸へわたりました。南京戦が行われたのが一九三七年十二月のことですから、その一年半後には、もう私の母は女一人、子供を抱いて中国にわたっていたことになります。



 
そして、天津の日本人租界での暮らしが始まりました。元々フランス人租界だったところを日本人租界にしたそのあたりは非常にのどかで、その様子が伺える当時の写真も数枚残っています。引き揚げの時に持ち出しを禁止されたので、写真はかぎられたものしか残っていませんが、一枚目(上)は天津市淡路街という日本人租界の民団住宅前で撮影したものです。私と二人の妹と、近所の中国人の子が一緒に写っています。中国人の子の母親が非常に良くしてくれて、妹たちにおそろいの中国服を作ってくれました。

 もう一枚(下)は天津市須磨街の自宅付近で撮ったもの。近所の中国人の楊車(輪タク)夫が楊車に私たちを乗せて遊ばせてくれている光景です。背景も写っていますが、近所の中国人もよく日本人租界へやってきて、「日本人街の水道はきちんと整備されているから」などといって、水道の水などをもらって帰っていました。

 「天明公社」という貿易と軍需関係の合弁会社を設立した父の事業もうまくいっていて、わが家は結構裕福な暮らしをしていました。父が行き倒れになった中国人夫婦を助けて、自宅のガレージの一角に部屋を作って住まわせていたこともありました。その夫婦は恩義に感じてくれたのか、三人の子供にそれぞれ「小一」「小二」「小三」と日本風の名前を付けていて、私と同じ歳だった「小二」とはよく遊んだ思い出があります。

 当時の天津は本当に安全で、私は子供の足で歩いて二十分ほどの幼稚園まで、毎日一人で通っていたほどでした。道すがらの中国人が私に対して何かを言ってきたり、身の危険を感じるうようなこともありませんでした。虐殺などが本当に起こっていたとすれば、日本人に対して何らかの罵声が浴びせられたり、少なくとも親から「一人で出歩いては危ない」などと言われたはずですが、そのようなことはありませんでした。

 それどころか、中国人に助けてもらったこともあります。家の近くを運河が流れていたのですが、土手でかけっこをして遊んでいて、川に落ちてしまった。溺れていたところを中国人の船頭さんが助けてくれて、自宅まで連れて帰ってくれたのです。川の水を飲んで赤痢(せきり)にはなってしまいましたが。

 たまに町で日本兵を見かけることもありましたが、中国人の友達も「カッコイイね。僕も将来はあんな兵隊さんになりたい」ということを言っていたくらいで、規律正しい日本兵の姿には、中国人も日本人も、ある種の敬意と畏(おそ)れを持っていたようです。天津には七年間住んでおり、子供ながらにシンガポール陥落など戦況についてよく話していましたが、「南京大虐殺」については一度も聞いたことがありませんでした。

 〈中国人女性にモテた父〉  

  父の会社の本社や事務所があった北京にも時々行きました。王府井(ワンフーチン)界隈の大通りに面したところに事務所がありましたが、当時の北京は賑やかで華やかで、やはり穏やかでした。太ももまでスリットの入ったチャイナ服の中国人の女性が自転車で走り去るのを見て、子供心に「すごいお姉さんだなあ」と思っていた記憶があります。

 父は、とにかく北京では中国人女性にモテてモテて、母はとても苦労していたようです。父は俳優の上原謙のような男前でしたし、明治の男ですから仕方がないとはいえ、恋愛結婚で一緒になって、大陸まで父を追いかけた母にとってはたまらなかったでしょう。

 ただ、もし本当に南京で日本人が民間人の大虐殺を行い、女性を強姦していたとしたら、中国人女性が日本人男性である父にそれほどまでにほれ込んだりはしなかったでしょうし、中国人同士の間でも「日本人なんかに熱を上げて」と非難されたはずです。しかし、そのようなことは全くなかったばかりか、父は中国人のためにも一所懸命働きましたので、老若男女問わず、中国人からは非常に尊敬されていたのです。

 〈南京ののどかな光景〉

 胡同(フートン)にある本社の隣には、北京の警察署がありました。父と署長は仲が良く、どこかへ一緒に列車で出かけたこともありました。署長さんはお金持ちだったからか、一号さんと二号さんを隣りに乗せていて、どちらもとても素敵な女性でしたが、口紅ばかり塗っていて子供の私には目もくれず、冷たくあしらっていました。「可愛がってくれないんだなあ」と思ったのを覚えています。

 しかし、そう感じたということは、逆に言えばそれ以外の中国人の大人たちは、日本人である子供の私を非常に可愛がってくれていたということでしょう。 三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。

 「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」

 また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」

 この話は非常に印象的だったのですが、後のこの話に通じる事実があったことを知りました。あのジョン・ラーベも日本軍宛に「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っており、報告書でも、日本軍からの米と小麦の配給があったことに触れています。

 もし本当に大虐殺が起こっていたとしたら、いくら書簡の挨拶文とはいっても「感謝」など示すはずがありません。


 〈命からがら引き揚げ〉

 歴史的根拠に関して言えば、二〇〇七年十二月に出版された『WiLL』増刊号「『南京大虐殺』に終止符!」で、映画『南京』が紹介されています。私もこの映画を見ましたが、あの映画ののどかな光景は、まさに私が天津で暮らしていた頃の記憶と重なるのです。とてもじゃないが、「虐殺があった」とは思えない光景が記録されています。

 増刊号でチャンネル桜の水島総氏も指摘されているとおり、この映画にはワイドショットが多用されているのですが、報道記者としての経験から言っても、ワイドショットでは不都合なものがあった場合、それが映りこんでしまうので、ドキュメンタリーを撮る場合には普通、あのような撮影はしません。「不都合なものなどない」から、安心してワイドショットで撮影していたのだと分かります。

 優しく、子供好きの日本兵、そして日本人と中国人が楽しそうに交流している様子。もし本当に虐殺があったなら、中国の人々も日本兵も、あのような自然な笑顔で交流することなどできなかったはずです。

 終戦を迎えると、さすがに中国人は現実的ですから、コロリと態度が変わりました。わが家に住んでいた中国人家族も、「引き揚げるなら財産を全て置いて行け」などと言いだしたほどです。こちらはせめてと思い、財産と引きかえに「持って帰ってはいけないといわれているので、写真を後から日本へ送ってほしい」と撮りためた写真を託したのですが結局、届きませんでした。送ってくれなかったのか、それとも没収されてしまったのかは分かりません。

 それどころか、父は貿易と軍需の会社をやっていた関係でスパイ容疑をかけられて逮捕、拘束されてしまいました。一番下の妹は三カ月くらいで出発前に死んでしまいましたし、父が死刑になるかどうかも分からない状況のなか、私と母はとにかく引き揚げなければということで、私は両手に妹を連れて、母は父の荷物まで一緒に背負って塘沽(タンクー)の町まで二週間かけて歩きました。銃撃を受けながら、ろくなものも食べられない状況での過酷な「行軍」だったのです。

 幸いなことに、父は共同経営者だった中国人が「鈴木(リンムー)先生は日中のためによくやってくれた。鈴木先生をこのまま殺したら、子々孫々から恨まれる」と一所懸命動いてくれたので刑を免れ、港で合流することができ、何とか一家で日本へ引き揚げてきたのです。

 〈テレビ局の「自主規制」〉

 命からがら日本へ帰った私は、その後大学へ進学し、TBSに入社しました。仕事が忙しく、その後中国を訪れることもなく、日々の生活に追われて天津での日々を振り返る暇もなかったほどでした。社会部で仕事をしているなかで、ふと気がついて周りを見渡したときには、「虐殺はなかったんじゃないか」ということすら言えない雰囲気が出来上がっていました。それがテレビ局の「自主規制」なのか、自虐史観を刷り込まれているからなのか、はたまた中国の謀略にかかってしまったからなのかは分かりません。

 局にいる間はこのことで揉めたこともありましたが、TBSを卒業してからは「もう何を言ってもいいだろう」ということで、講演などでも自分の経験からのお話をさせていただいてきました。それでも、雑誌やテレビが「私が経験から南京大虐殺などなかったと思う理由」について取り上げてくれたことは一度もありませんでした。

 以前、日本テレビ系列の『オジサンズ11』(〇七年十月~〇八年九月まで放映)という番組に出演していた時に、制作プロダクションから「何か番組で取り上げるテーマはありませんか」と聞かれたので、映画『南京』を取り上げてはどうか、と提案したことがありました。

 この映画は他の局で放映されたことはないし、これまでの「南京」のイメージが覆(くつがえ)る。南京の真実が伝わるだろうと思ったのです。プロダクションのスタッフが話に乗ってくれて、私は本当に嬉しかったんです。「これで真実が全国に広がるきっかけになる」と思っていたのですが、会議で上の人間から何か言われたのでしょう、有無を言わさず却下されてしまいました。その後はスタッフが私を見る目が変わり、目が合っても顔を背けるようになってしまった。非常に悲しかったですね。

 報道に携(たずさ)わる以上、「真実」に近づき、「真実」を伝えることが使命だと分かっているはずです。にもかかわらず、「検証」すらせず、中国のプロパガンダ、「嘘」に加担し続けるというのは、報道人としての風上にも置けません。すでに中国の手が回っているのかもしれませんが、「真実」を伝えることが報道に携わるものとしての、いや人間としての務めではないでしょうか。

 〈日中の未来のために〉

 「南京大虐殺」のような「嘘」があるかぎり、日中が手に手を取ってやってくことはできません。日本と中国は永遠に隣同士ですから、その関係を悪化させる中国の反日プロパガンダ、反日教育はたださなければなりませんし、このような状況は日本にとっても中国にとっても、「最大の悲劇」としかいいようがありません。

 私にとって、中国は「第二の故郷」なのです。その中国の方々が、このような「嘘」を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです。映画『南京』の冒頭には、このような字幕が流れます。「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入場は燦然(さんぜん)たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」。

 我々は、どんなに時間をかけても「南京大虐殺は真実ではない」と伝えていかなければならない。それが「我々の子孫」……つまり日本人の未来のためであり、中国人のためでもあるのです。 

 筆者 鈴木史朗

当時を知る方たちは、もうほとんどいない…しかし、事実が捻じ曲げられ真実が歴史の中に埋もれていくことは避けなくてはいけません。

日本は、歴史を捏造する中国・韓国のみならず、この国の左翼や朝日新聞などによって現在に及ぶまで事実に基づかない「中傷」と「不利益」を被っているのですから。


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今回は、「しばやんの日々」ブログ「関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか」をご紹介します。


関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発し、関東軍により満州全土が占領されて、その後満州は関東軍の主導の下に中華民国からの独立を宣言し、昭和7年(1932)3月1日に満州国が建国された。満州国の元首(満洲国執政、後に満洲国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が就いた。

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溥儀

この満州国については、一般的な教科書では次のように記されている。

「しかし、軍事・外交はもとより、内政の実権も関東軍や日本時官吏がにぎっており、満州国は日本が事実上支配するものとなった。日本のこうした行動は、不戦条約*および9か国条約に違反するものとして国際的な非難をあびた。」(『もういちど読む 山川の日本史』p.297)
*不戦条約:1928年、仏のブリアンと米のケロッグが提唱して実現した戦争を否定する初の国際条約。ケロッグ・ブリアン条約とも言う。

このような文章を読むと、わが国が全世界から非難されたような印象を受けるのだが、満州事変のあと国連から派遣された調査団によってレポートされた『リットン報告書』では相当程度わが国の立場を認めていた。

また満州国は当時の世界60か国の内20か国がのちに承認し、ソ連のような建国以来国境紛争を繰り返した国さえも事実上承認の関係にあったのである。
世界の3分の1が承認しているような満州国を支援したわが国が「国際的な非難を浴びた」とわが国の教科書が書くのは、国民を「自虐史観」に誘導し固定化する意図を感じるところなのだが、この点について当時の論調はどのようなものであったのか。


まずわが国が「不戦条約」に違反したかどうかだが、そもそも1928年に成立した「不戦条約」は単純に戦争を放棄するというものではなく、自衛のための武力行使は認められていたことは重要なポイントである。
前回の記事で書いたように、日清戦争の頃は満州人の故地である満州の人口はわずか数百万人であったのだが、そこに中国は3千万の漢人を送り込んで排日運動を仕掛け、ソ連も赤化工作を仕掛けて何度も暴動を起こし、わが国が多額の投資をしてインフラを整備し築き上げてきた満州の権益を奪う動きをしていたのである。わが国の行動が自国の権益を守るための自衛行為だと認知されていたなら条約違反にはあたらないことになる


国立国会図書館デジタルコレクションに、満州事変の1か月後に出版された『満洲事変と世界の声』という本が公開されている。この書物は主要国の新聞や雑誌の当時の論調をまとめたものだが、わが国が「不戦条約」に違反したかどうかについては、アメリカのファーイースタン・レビュー誌のG.ブロンソン.リーの論文(要約)がわかりやすい。この人物はその後満州国外交部顧問に就任していることを付記しておく。

George-Bronson-Rea
【G.ブロンソン.リー】

「日本は満州に15億円の投資を為しているばかりではなく、その経済的必要、国防の安全、国家の名誉と威厳をかけている。…
 この満州における日本の既得権益問題が解決されなければ、日支通商も日支親善もあり得ない。中村大尉事件、万宝山事件、朝鮮における支那人虐殺事件その他三百余件が日支間に未解決のまま残されている。支那*はその解決策として、国際連盟**、ケロッグ不戦条約その他世界の同情を利用して日本の武力を封じ、一方ボイコットを以て日本を経済的に圧迫しようとしている。日本がこと満州の既得権に関する限り絶対に第三国の干渉を排除し、必要とあれば全世界をも相手取って争うことを辞せないことを誓っていることを支那は忘れているのである。しかのみならず、支那はケロッグ・ブリアン不戦条約について重大な見落としをしている。すなわちこの不戦条約には自己防御および既得権擁護の権利の場合が保留されていることを見落としているのである。…満州における支那の宗主権は日本といえども認めている。しからば支那はその宗主権を如何に行使したか。国際の信義を重んじたか、満州の福利を計ったか、治安を維持したか、また外国資本からなる企業を保護したか?…
 満州の支那官憲は七十億ドルもの無価値な紙幣を発行して農民から穀物をとり上げ、それを現金に代えて巨大な軍隊を養い、将軍連の私腹を肥やしていた。支那は盛んに国際的道徳を説くが、日本が事実をもって説くところも聴く者をして肯かせるものがある。支那は日本の侵略を説き不戦条約違反だとするが、日本からしてみれば自己防御と言うだろう。元来国際公法なるものは国際の伝統、習慣および力から成るのであって口先ばかりの理屈ではない。支那は自己の外交を支持する力を以てせず、ボイコット、ストライキその他の排外運動なるものを武器として戦う。支那は常に国内の戦争ばかりしていて、ろくに自分の国を治めないで外国の干渉は排撃するが、外国と事が起こると第三国の干渉を希望している。今日の紛争の種は支那が撒いたようなものだ。即ち国内を治めず、国家の権力に伴って存する義務を怠っていた結果である。」
*支那:現在の中国本土。
**国際連盟:1920年1月20日に正式に発足した国際機関。本部はジュネーブにあった。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146591/94

また同上書で、英国のタイムズ紙(同年10月16日付)に掲載されたT.O.Pブランド氏の論考も紹介されている。文中のジュネーブというのは国際連盟のことを指している。

支那国民党は、南京および奉天において日本に対する敵対的政策を遂行していたもので、それは激烈なる反日宣伝やあらゆる種類の破壊的行動によって示されていた。これは支那外交の伝統的手段に全く一致するもので、この煽動政策は日本をして合法的権益を自衛せしむる上に、武力に訴える立場まで引きずりこむこむことで、日本がこの軍事行動をとるや支那はこれをもってケロッグ条約や連盟に抵触するとなしてこれを訴え、連盟および米国の干渉を誘起せんとするものである。
 この支那の取っている政策の真の目的は満州における日本の権益を廃棄せしむるか、またはその根本的改定にあるもので、国民党の首領らはワシントンおよびジュネーブの雰囲気がこの目的遂行に十分合致せるものなることを知りつくしている。支那はワシントン会議以来他の条約国との交渉に於いて条約の義務を平気で無視し、または破棄することに成功している。今回支那がことさらに事件を起こして日本の満州における権益を排除すべき見解をとって、ジュネーブに訴え出たことは敢えて驚くに当たらぬ事実である

 しかしながらすべてこの理論的政策をまず差しおいて、日本が合法的権利の範囲内で活動した結果、満州が無秩序な支那の砂漠の嵐の中に反映せるオアシスとなっている状態は貴重な事実であらねばならぬ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146591/22

このように中国に対して厳しくてわが国に理解を示す論調もあれば、その逆もまた存在するのだが、ソ連や中国のように侵略行為としてわが国を厳しく非難する論調は決して多くなく、軍部が政府の指示を得ずに動いた問題点は指摘しつつも、わが国の自衛のための行動と評する論調をいくつも見出すことが出来る。

再び冒頭の教科書の記述に戻って、次にわが国が「9か国条約」に違反していたかについて考えてみたい。

この条約は大正11年(1922)のワシントン会議に出席したアメリカ、イギリス、オランダ、イタリア、フランス、ベルギー、ポルトガル、日本、中華民国間で締結された中国に関する条約で、各国に中国の主権、独立そして領土及び行政的保全を尊重させ、門戸開放・機会均等・主権尊重などが定められているのだが、中国側にも軍事力と軍事費の削減努力を行う義務などが定められており、中国に関して言えば、彼らはこの決議を全く無視して兵力を増やし続けたことを指摘せざるを得ない。


日本外交文書デジタルアーカイブ ワシントン会議極東問題の決議内容が公開されていて、次のURLの第9章第1節にのp.348に、(7)支那陸軍兵力縮小に関する決議の訳文が出ている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/tt-4.html


G.ブロンソン.リーの著書『満州国建国の正当性を弁護する』によると、1921年当時の中国軍は約百万人と見積もられていて、その後大幅に増加したという。

「『チャイナ・イヤー・ブック』(1932年)は、非正規軍を除外してその戦力を2,245,536人と見積もっている。南京政府の軍事独裁者、蒋介石の私兵は百万である。これに加えて承認政府の軍隊と独立した軍閥があり、武装した匪賊、そして共産軍がおよそ二百万である。銃器を携行する中国人は合計するとざっと五百万で、これが人民を餌食にし、外国の承認を求め、外国が管理して集めた歳入を享受しようと、覇権を求めてお互いに戦い合っているのである。」(『満州国建国の正当性を弁護する』p.269)

このように中国は決議に違反して兵力を大幅に拡大していったわけだが、国際正義の観点からこのような国の主権を尊重することが優先されるべきだとは思えない。そしてわが国は、柳条湖事件以降経った数万の兵力で、わずか5か月の間に満州全土を占領してしまったのである。


満州事変直後においては中国の方を批判する論調が少なからずあったにもかかわらず、なぜその後、世界の多くの国は日本に非難の矛先を向けていったのだろうか。
G.ブロンソン.リーは、同上書で非常に興味深いことを述べている。

合衆国政府と種々の我が世論機関は日本にひどく批判的だが、それは日本が海軍制限条約の改訂を望まないからである。日本は2・2・2の同率条件が認められれば、日本は海軍を削減するつもりだと請け合っているにもかかわらず、我々が聞き知るすべては、日本が極東を支配し、我々の貿易を閉ざそうとしているということだ。…
 他の一面は最も浅薄な観察者でもよく理解できる。中国の外国貿易は現在、政府がその力を維持するための主要な歳入源となっており、それは過去七年間の二千五百万から三千万の人々の死の原因となっている。関税で集まったお金は軍隊維持のために費やされ、人々を食い物にして彼らの外国製品購買能力を破壊するのだ。我々は外国の法律も、アメリカ上院決議も干渉できない武器密売の光景をここに見る。あらゆる国が、このぞっとするビジネスの分け前を得ようとしている。彼ら”死の商人”は、増加する関税収入に担保された長期貸付で裏取引を行う一方、外交や政府の支持を得て、その特製品を売るのである。外国貿易が武器代金を支払うことになるのだ。
 世界は九か国条約に違反したとして日本を非難する。告発は自由である。しかし貿易と儲けの為に中国の条約違反に目を閉ざしたその他の七か国はどうなのだ?関税自主権を認められた中国は資金をつぎ込んで正規軍を百万から三百万に増やし、第一次世界大戦の戦死者の五倍の人間を殺すことを可能にした。日本は自衛のために条約に違反したかもしれない。しかし日本を告発する者は、つまらない貿易の利益を得んがために中国の条約違反を大めに見た廉で、世論という法廷の前では有罪を宣告されるのである。」(同上書 p.272~273)

内戦の続く中国は、欧米の『死の商人』からすれば極めて魅力的な武器のマーケットであったことは言うまでもないだろう。G.ブロンソン.リーは中国が大量の武器を買っていたことについてこう述べている。
「満州の張家の統治時代には、人々は銃剣を突き付けられ、労役の産物と交換に七十億ドルの不換紙幣を無理やり押し付けられた。その他の省では土地税が二十年から五十年先まで取られている。阿片の栽培と販売が幾つかの省の軍隊を維持する収入となっている。その他の方法でも人民はその抑圧者に財産を搾り取られているのだ。」(同上書 p.271)


このように収奪された資金のかなりの部分が武器弾薬や軍用車などの購入に充てられたことは想像に難くない。前回記事でわが国が満州の都市建設などのために投資した金額は17億円と書いたが、ドルに換算すると5~6億ドル程度である。張作霖・張学良の時代の満州では、その何倍もの金が内戦の為に使われた可能性が高いのである。

『死の商人』にとっては、争いが続く限りはいくらでも武器・弾薬を売ることができる。そして、もし中国の内戦の泥沼に日本を引き摺り込むことができれば、さらに儲けることができると考えていたのではなかったか。

しかしながら、中国兵よりも圧倒的に少数の関東軍が、たちまちのうちに満州を制圧してしまった。武器・弾薬をもっと売りたい彼らからすれば、関東軍が満州を鎮圧してこの地域が平和となることは決して好ましいことではなかったことは誰でもわかるだろう。


以前このブログで、大正8年(1919)から中国の排日が始まり、その背後に英米の勢力が活発に動いていたことを書いたことがある。
上の画像は昭和7年(1932)8月2日の中外商業新報の記事であるが、中国の日貨排斥運動を機にアメリカの対中国貿易が、日本、イギリスを追い抜いて一気に首位に踊り出たことが報道されている。アメリカが主張していた中国大陸の「門戸開放」は、中国に排日を仕掛けることで実を結んだことを知るべきではないだろうか。

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昨年、2017.2.25の産経に以下の記事がアップされたことは割と知られているかと思いますが、今一度、日本の置かれている現状を再確認してほしいと思います。

中国資本の影が忍び寄る「北海道人口1000万人戦略」のワナ “素性”不明の発電所が多数存在…跡地は誰も把握せず
(2017.2.25)産経

関係者によると、1千万人のうち200万人は移住者とすべきだと力説したとも言われる。
 本連載の第3部で、「一部中国メディアの間では、北海道は10年後には、中国の第32番目の省になると予想されている」という在日中国人のチャイナウオッチャーの言葉を紹介したが、張氏は昨年、筆者との電話でのやりとりの中で「32番目の省の話は大陸でも言われている」と語った。
 中国資本の動向を検証している複数の専門家の話を総合すると、北海道で中国資本に買収された森林や農地などは推定で7万ヘクタール。山手線の内側の11倍以上の広さにのぼり、うち2、3割は何らかの意図があるという。専門家らは「残りの7、8割の中国人や中国資本の動向にも当然、影響を与える」と危惧する。
 水、電力(太陽光発電、バイオマス発電)、港湾、流通基地…などのライフラインは、中国へ資源を輸出するためだけではなく、道内で中国人集落が自給自足するためにも欠かすことはできない。人口1千万人構想、1万人規模の別荘構想、並行するように展開される不動産買収、そして、駐日大使や1等書記官の来訪。先のチャイナウオッチャーは「中国は北海道を20年前から、沖縄は25年前から狙っていた」という。

(中略)
もう少し、中国資本の動向を追うことにする。  広い北海道で車を走らせると、太陽光発電所の多さに驚く。
 太陽光発電協会(東京)によると、北海道の太陽光発電所の数は、昨年7月現在で、約3万件余り。うち住宅用以外の発電所は約4500件だが、日本の場合、発電所を設置する企業は国籍を問わないため、“素性”は不明だという。経済産業省新エネルギー課でも、国別の統計はないという。
 道内の太陽光発電所の設置企業を個別に調べると、中国資本が関係しているのでは、とみられる太陽光発電所は50件前後。その中の1社は、東京千代田区内に本社を置き、全国規模で太陽光発電ビジネスを展開している。平成21年設立で、代表をはじめ役員は中国人が占める。この企業は25年から28年までに北海道に23件の太陽光発電所を建設、今年2月にも新たに1件稼働させている。
 地元紙によると、登別市上登別町のテーマパーク「登別中国庭園・天華園」跡地には、中国系企業が来年6月の稼働を目指し、メガソーラーの建設を計画。関連企業がすでに敷地と周辺林地約70ヘクタールを取得したという。 北海道電力によると、発電所用の土地が、どれぐらい買収されているかは、チェック機関がなく不明だという。稼働実態について、同社の担当者は「個別案件については公にできない」としながらも、「事業計画通りに進まないため、需給契約を取り消すケースは多々ある」と話す。1千キロワット以下の発電所については売電しているかどうか分からないという。  太陽光発電施設の寿命は、平均約20年ともいわれる。20年後、太陽光パネルは廃棄物として処理されるが、跡地はどうなるのか?  経産省新エネルギー課によると、土地の後利用は企業側が決めるが、「個別の問題なので把握していない」という。  太陽光発電協会も、実態は分からないが、広大な森林地帯を買い取って伐採したものの発電所を設置していないケースもあるだろうという。こうした土地は何に使われるのか-。(後略)

http://www.sankei.com/premium/news/170225/prm1702250034-n4.html


そして、2017.6.20の記事にも「北海道が危ない第5部」がアップされた。(一部抜粋)


中国人女性実業家が土地の売買段階から関係していた。女性は目黒雅叙園(東京)の買収、売却劇にも登場する。  中国と関係の強い学校法人京都育英館に譲渡されることが決まった苫小牧駒澤大の関係者や市関係者によると、苫小牧は北海道でも気候は温和で積雪量も少ないことから、中国資本は買収、開発に関心を持ってきたという。彼女もその中の1人だった。開発候補地の森林は、この女性の会社が所有者から購入、MAプラットフォームに転売しており、巨額の転売益を得たとされる。経緯を知る人物によると、女性は「アリババの会長らを連れてきて、中国人の集落をつくりたい」と話していたという。


http://www.sankei.com/life/news/170620/lif1706200021-n1.html


物事は、ただ見て、聞いて、そのときだけ騒ぐだけなら記憶からドンドン忘れ去られていきます。

自分には「関係ない」と思っている方は、日々流れてくるニュースに一喜一憂しては忘れる。

けれど、どんな人でも同じで基本的に人間は忘れるようにできているんです。

人間の脳は「生きるために必要でないことはデリート」するように出来ているため、放っておけば数日とかからず大半の記憶が消滅する。

脳は、生存にかかわる重要な情報を優先して記憶するからです。

よく耳にする「○○事故」から○○年なども、ご自身が生死に関わった方でもなければ、ほとんどの方は、耳にしてはじめて「そんなこともあったね」と思い出す程度です。

連日、野党やマスゴミの偏向報道が目立ちますが、騒いでる間に、シナは虎視眈々と日本の乗っ取りを狙っている。


産経の記事には、女性は購入の際「これから中国人の人口が増えるから学校が欲しい。富裕層の子供を連れてきて、中国人と日本人のインターナショナルスクールを造りたい」「150室ぐらいの中国人用のホテルを建てたい」と土地購入の理由を話していたといいます。

大量にシナ人がビジネスという名目で日本へ移住を続けている訳で、これが何を意味するのかといえば、不動産購入の目的は、日本での「永住権を得る」ことの他ならない。

経営・管理ビザを取得し更新する資格を得て、何度も更新し「永住権」を狙う訳です。


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そして、2017年3月19日、中国メディアの中国僑網が在日外国人数が238万人に達し、そのうち約70万人が中国人だと伝えています。

在日外国人のうち中国人が69万5522人で最も多く、次いで韓国人の45万3096人、フィリピン人の24万3662人。

移民問題だけでも土地買収問題だけでもなければ、尖閣沖縄問題だけでもない。

もうモリカケなどやっている場合ではなく、日本は多方面で危機的状況にある。



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上野動物園(東京都台東区)のパンダが誕生してから、ときおりニュースでシャンシャンの成長が取り上げられるようになりましたね。

2017年6月12日、東京都恩腸上野動物園(以下:上野動物園)で生まれた赤ちゃんパンダのシャンシャンは来月 で1歳になります。

すくすく育っていくシャンシャンを見て、その成長を喜び誰もが「可愛い」と声にするでしょう。

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私もフワフワした動物が好きなので複雑な心境で見ています…

国内でパンダが誕生し無事1年を迎えられるのは動物園の職員さんたちの苦労の賜物です。

しかし、その「パンダの歴史」をメディアが取り上げることはない。

ご存知の方もいると思いますが、ジャイアントパンダはチベット国のパンダであり中国共産党の侵略によって奪われました。

現パンダが、唯一自然界に生息する現生息地は四川省成都西。

そこは、1950年代に中国人民解放軍が侵攻した地で、チベット併合前の中国内にはパンダはいないんです。

侵略によって他国の財産を奪い取って国を保っている。

侵略国家、それが、China

侵略され、国有財産、民族の伝統・文化を奪われ、凌辱され命を奪われ、支配され監視されている国が、南モンゴル、チベット、東トルキスタンです。

日本では「チベット自治区」と呼ばれていますが、チベット自治区だけでも123万㎢ありチベット本来の範囲は広大な面積です。

四川省西半分はチベット高原で、それは省都である成都のすぐ西から始まり成都から南西に240㎞ほどのところにあるミニヤ・コンカ山の標高は7556m。

成都は古くからシナ人が居住し三国志の蜀の都ともなったところです。

シナ人は「チベット高原」に上ることができず、高原はチベット人の世界であり、パンダは、このチベット高原の東端の地域に生息している動物です。

だから、多くの心ある方たちが、パンダは「チベット固有」の動物であるとメッセージを発信しているのです。

チベットがシナに侵略支配されパンダが「中国」の動物になってしまったという事実を、いったいどれだけの方が知っているでしょう?

シナのチベット侵略によって、パンダが「日本にレンタル」され外交に利用されていることを多くの方に知って欲しいと思います。

そして、今年2月の名護市長選で「稲嶺」氏が、名護にお願いしたい子どもに夢と希望を与えるなどとパンダを希望したことは記憶に新しいでしょう。

パンダは、世界中へ外交のカードとして利用されている。

可愛いパンダがやってこれば、みなが歓迎しブームを巻き起こす。

しかし、シナにとっては外交ツールでしかない。

パンダ外交は、ほんの数十年前(1970年ごろ)まで世界中から孤立していたシナが、希少動物を使って世界に振り向いてもらおうとする外交政策でしたから、パンダは「友好の証」として無償譲渡され文字通り外交的貸しを作り政治利用していた。

中国は、その後、ワシントン条約に加盟(1981年)し無償譲渡を終わらせ、そして、今、世界中の動物園に共同研究や繁殖などを目的として有料で貸し出すビジネスを展開している。

パンダのレンタル価格は、先の名護市長選で皆が知るところとなりましたが、2頭で年間、約1億円。

そして、そのパンダも中国国内での飼育に問題があるのではないかと、8頭のパンダに目の周辺の毛がなくっていることから疑念が持ち上がりニュースにもなりましたが原因は不明とだけありました。

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また、ファー欲しさにパンダの密漁も絶えないという。

パンダだけではありませんけどね…

毛皮をほしがる輩がいる限り、こういう残酷な現実もなくならない。

もし、拙ブログを読まれた方が女性であれば毛皮について考えてほしいと思います。

そして、本当に「日本にパンダが必要なのか?」も考えていただけたらと思います。





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尖閣の領海侵入常態化…中国、海洋強国へ軍と連携

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【北京=藤本欣也】強国路線を掲げる中国の習近平政権は、「海洋強国」の建設を加速させている。その一環として3月、尖閣諸島沖で領海侵入を繰り返す海警局(海上保安庁に相当)を、最高軍事機関である中央軍事委員会の指揮下に置く機構改革を発表した。今後は軍事力を利用する形で、日本の実効支配を崩す動きを強めていくとみられる。

「中日関係は改善の勢いが続いている」

 中国の李克強首相が9日、北京を訪問した河野洋平元衆院議長との会談でこう述べたように、両国は冷却化した関係から脱しつつある。王毅国務委員兼外相も15日から日本を訪問し、約8年ぶりに閣僚級のハイレベル経済対話を行う。

 しかし尖閣周辺の波も同様に静まるかといえばそうではない。今年1月11日、中国海軍の攻撃型原子力潜水艦が尖閣周辺の接続水域を航行したことが初めて確認されたときも、昨年11月の日中首脳会談を受けて関係改善ムードが高まっていた時期で、日本では驚きをもって受け止められた。

 昨年10月の共産党大会で「海洋強国の建設を加速させる」ことを確認した習政権に対し、海洋進出の手を緩めることを期待するのは現実的ではない。

 中国で海洋権益の保護を担当する海警局は、日本政府による尖閣国有化の翌2013年に発足。尖閣沖の日本領海への公船の侵入を常態化させてきた。

 3月には人民武装警察部隊に編入されることが発表され、国務院(政府)から中央軍事委員会の管理下に入ることになった。海軍と連携を深め、尖閣周辺での活動を一層強化するのが狙いとみられている。

 こうした中国が最近、警戒感をあらわにしたのが、今月7日に長崎県の駐屯地で隊旗授与式が行われた陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」だ。「日本版海兵隊」とされる。

 中国外務省報道官は「日本は隣国の安全保障上の利益と懸念を尊重せよ」と反発した。これについて、尖閣に詳しい海洋専門家は「日本側も軍と一体となって尖閣に対処しようとしているのでは-との懸念だろう。特に米海兵隊との連携を危惧している」とみる。

 今後の見通しについて、同専門家は「尖閣は中国における対日戦略の象徴だ。両国関係に関わりなく、日本の実効支配を崩していく中国の姿勢に変わりはない」との見方を示している。
 

2018.4.18 産経

https://www.sankei.com/world/amp/180413/wor1804130024-a.html

日本の実効支配を崩していく中国の姿勢に変わりはない…


あなたは、中国の脅威を身近に感じてから、もうどれくらいになるでしょう?

私は、去年くらいから中国の動きが非常に目立ってきたと感じています。

去年7月には、「尖閣周辺に2日連続で中国公船」 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で7日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認している。

尖閣周辺で中国当局の船が確認されるという記事の絶え間ないことに、中国がいよいよ日本を奪いにきているのだと感じています。

また、昨年は、中国「ドローン」に空自機がスクランブル、尖閣諸島周辺の領空を侵犯したこのとき、外務省は中国側に厳重抗議した。

この日の産経には、 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海に侵入した中国海警局の船の上空を飛んでいる小型無人機「ドローン」に対し、F15戦闘機を緊急発進(スクランブル)させたことが分かった。複数の政府関係者が明らかにした。無人機に対するスクランブルは極めて異例。外務省は同日、ドローンは中国海警局の船から飛ばされたとみて、在中国大使館公使に厳重に抗議したとあり、海上保安庁が同日、魚釣島から約14キロの領海内で海警局の船4隻のうちの1隻の船首付近でドローンのような物体が飛行しているのを確認している。尖閣周辺でこうした物体の飛行が確認されたのは初めて。とありました。

この「確認されたのは初めて」が、増えていったのが2017年です。

スクランブルは、ご存知の方も多いでしょうけど、通常、日本の領空に向かって接近する他国軍の戦闘機や偵察機などに対して行われるものですが、このとき
スクランブルを行ったのは、
中国の挑発行為を牽制する意図があったとみられています。

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虎視眈々と尖閣諸島を領土にしようと狙っている中国。

尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは
「〜日連続」という記事も、もう珍しくもありません。

海上保安本部は、機関砲のようなものを搭載している船の確認もし、あげればキリがないほど、近年、中国による領海侵犯は増加しています。

領海だけでなく領空侵犯も増加傾向にあるのは、チャンスがあれば武力行使しようと目論んでいるからで、どれくらいの速さで日本側が対応するか、常に日本における自衛隊の力をうかがっている。

中国という国は、日本周辺の海洋資源が欲しい。

まあ、シナが欲しいのは
の海洋資源だけではありませんが…海洋資源を狙っているのは周辺諸国も同じでしょう。

親日である台湾でさえ与那国島(沖縄県与那国町)周辺を調査しており、反日の韓国は竹島(島根県隠岐の島町周辺で調査を実施。

そして、ロシアも北海道の宗谷岬沖で調査した可能性があります。

日本は、決して平和などではなく、平和に見える日本の影で海保や自衛隊の努力によって守られているに過ぎない。

尖閣諸島を在沖縄米軍と南西方面の自衛隊を牽制する重要な戦略的拠点と目論む。

それは、尖閣諸島がシナの領土になれば、そこから200カイリの排他的経済水域内がシナの海洋国土になるからです。

天然資源の宝庫といわれる東シナ海は、シナが喉から手が出るほど手に入れたい領域であり、だからこそ沖縄にある米軍基地は、目障りで仕方ない。

我が国は、自国の領域を守るために必要な措置をとる義務があります。

しかし、海保や自衛隊に課せられた制約が厳しいものであり、現状は現場の判断に任されている訳で国のあり方として無責任です。

また、シナに足元をすくわれないよう
日米同盟関係の強化が重要であり、米軍基地は要らない!などと反基地運動を繰り返している輩を追い出すべく我々も戦わなくてはなりません。

日本を領土にしようと目論む
工作員、シナの手先の好き勝手にさせておいてはならない。

左派メディアが「安倍ガー!」と騒ぎたて、モリ・カケで国内を混乱させる間、シナの領土拡大への動が激しくなってきている。

工作員は、反基地と呼ばれているプロ市民を金で雇い沖縄から「米軍基地」を撤退させ、東シナ海を、沖縄を、日本を差し出そうとしている。

もう待ったなしです。

野党が反対し、三大紙の論調は全て反対というスパイ防止法。

そして、自衛隊の足かせとなっている
憲法改正は急務です!

我々は、国や政府に意見しメディアを監視する国民となるべきです。

日本という国を、未来の子供たちのために守ることができるのは…

今の私たちだからです。

一人ひとりが日の丸を背負って生きましょう。

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