心の風景

カテゴリ: 歴史

「徴用工判決」韓国へ“経済的懲罰”を 識者「韓国が『助けてくれ』と言ってきても、日本は突き放せ」

韓国最高裁による、元徴用工をめぐる異常判決を受け、日本国内は怒りの声で満ちあふれているが、韓国は駐日大使が「(日韓)関係の破綻はない」「大きな変化はない」と語るなど、楽観視しているように感じる。両国の法的基盤である日韓請求権・経済協力協定(1965年)を反故(ほご)にしても、「日本相手なら構わない」とでも思っているのか。日本の怒りと抗議の意志を示すため、韓国への「ハイテク部品などの提供(供給)制限」という強硬策を促す声もある。サムスン電子など、韓国製造業に激震が走りそうだ。 

《遺憾砲は効果がない。とりあえず兵糧攻めが効果的だ。アメリカ的な経済的攻撃で懲罰すべき》

 夕刊フジで人気コラム「Yes!高須のこれはNo!だぜ」(毎週月曜)を連載する、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長は、10月30日の異常判決を受け、ツイッターでこう訴えた。

 日本政府は、さまざまな外交的問題が発生するたび、「遺憾だ」と抗議してきた。だが、高須氏は「韓国には効果がない」と確信したようだ。

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 現に、韓国の李洙勲(イ・スフン)駐日大使は1日、韓国記者団との懇談で、「韓日関係は非常に難しい状況に来ているが、関係の破綻(破局)はないと思う」「民間交流に少し影響はあるだろうが、大勢には大きな変化はないとみている」と語ったという。聯合ニュースが伝えた。

 異常判決の翌日(10月31日)、産経新聞から朝日新聞まで、厳しい批判と抗議の社説を掲載したが、就任1年にもなる大使には「日本人の怒りの声」が届いていないようだ。

 河野太郎外相も1日、自民党の外交関係部会・調査会の幹部から決議文を受け取った際、「韓国側がこの問題を重視していないということが見受けられる」「韓国側から『お互いに知恵を出そう』という話があったが、100%韓国側の責任において考えることだ」と言い切った。

 前出の高須氏の訴えに即反応したのが、同じく夕刊フジで「以毒制毒」(毎週木曜)を連載するジャーナリストの有本香氏だ。

 ツイッターに《賛成です》と書き込み、続けた。

 《日韓ハイレベル経済協議、通貨スワップ再開協議の中止。また、韓国の輸出企業は日本からの部品、素材、工作機械の提供がなければ回りません。この輸出に制限をかけ、当面、対韓輸出が減り、困る日本企業への一時的救済策を講じる。これらのことはただちに検討、アナウンスすべきと思います》

 かなり詳細で具体的な対応策といえる。ネット上は、「企業は韓国との付き合い方を考えるターニングポイントになると思う」「韓国文化の輸入禁止も入れましょう」などと沸いた。(以下略)
(zakzak 2018.11.03)
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/181103/soc1811030005-n3.html

徴用工裁判判決


そもそも1965年日韓基本条約の締結「徴用工裁判」判決に関して、日本政府は「日韓請求権協定」で、完全かつ最終的に解決済みです。

韓国最高裁が30日、元徴用工4人が植民地時代に強制労働させられたとして新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償の支払いを命じましたが、これは、国際法を無視した異常な判決です。

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昨年、韓国で反日映画「軍艦島」が上映され、捏造歴史「慰安婦」に続き、今度は「徴用工」か!と、多くの方は怒りが込み上げたことでしょう。

HANADA 2017 10月号に「軍艦島」徴用工の嘘について述べた内容を西岡 力氏が掲載されたので引用し書いておきたいと思います。

1944年12月に京城から広島の兵器工場に徴用された鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が、1970年に自家版として手書きした手記を1990年に邦訳、出版した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。

鄭氏が手記を書く頃は、戦後補償を求める運動などは存在しなかった。

青春の記録を残したいと言う純粋な動機で書かれた手記からは徴用の実態がよく分かる。鄭忠海氏は、釜山で出会った日本人引率者とともに船で下関に渡り、列車で広島まで移動した。


新築の寄宿舎が準備され畳も新しく絹のような布団も備えられていた。食事も大豆の混じった米の飯と筍と肉のおかずで量も質も満足したと言う。

月収140円という当時としては高給をもらい、夕食後、広島名産の牡蠣やなまこ、ネーブルやみかん、そして酒を買ってきてよく宴会を開いていた。

鄭氏は「わが祖国、わが民族の為に、闘いに行く、働きに行くのなら、諦めもできよう。だがよその国家と民族のために強制的に動員されていく身の上、弱小民族の悲哀」とも書いている。

日本側もそのことが分かっていたから、戦争中の貧しい物資事情の下、できる限りの待遇をした。

保証は既に解決済みである。1965年の日韓協定で、日本は韓国に無償資金3億ドル、有償資金2億ドルを提供し、それをもって両国は徴用工らに対する補償が「完全かつ最終的に解決したことを確認した」と、請求権協定の第二条に明記した。

徴用工補償責任は韓国にあり反日政策を展開した盧武鉉政権も認めていた。

盧武鉉政権は2005年8月26日間日請求権協定の法的効力範囲に関する韓国政府の立場を発表。

そこで、徴用工の保証は日本からもらった無償3億ドルに含まれていると見るべきだから、韓国政府がその資金から徴用工の救済を行う道義的責任があると認めている。

しかし、完全に終わったはずの徴用工の個人補償問題が韓国の最高裁判所の判決で再燃し始める。

2012年の判決で最高裁は「日本より韓国支配は違法な占領に過ぎず、強制動員自体が違法」と言う特異な論理を展開している。

実はこの論理の提供者は日本人だった。

和田春樹東京大学名誉教授親北左派学者は1980年代以降、日本政府の「韓国併合条約は国際法上、合法的に締結された有効なものだった」と言うわが国の解釈を「不法に締結された当初から無効だった」と変えさせようと言う運動を執拗に進めてきた。

ここからも日本発の「慰安婦問題」と同じ図式が見えるように、日本国内に蔓延る反日連中が陰で糸を引き日本を貶めていることが分かるでしょう…


韓国への経済的懲罰や韓国が「助けてくれ」と言ってきても突き放すことは必要な措置ですが、国内に蔓延る連中をのさばらせておけば、また日本発「捏造」の入れ知恵をされてしまいます。

国内の反日と韓国によって「捏造」された歴史を、私たちは根気よく潰していかなくてはなりません。

日本企業や政府は韓国との付き合い方を変える必要がありますが、韓国が悪意を持って日本と日本人を誹謗中傷していることを世界へ向け国際社会に強く発信していかなくてはなりません。


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Chinaの歴史は、殺戮の歴史。

中国3000年の歴史など存在せず、王朝が変わるたびに戦勝した方が相手国を皆殺しにして、それを晒すという残虐非道な歴史を繰り返す。

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今も内モンゴル、チベット、ウイグルで民族浄化をしているように、彼らの歴史は虐殺の歴史…

見て見ぬふりをするなら、内モンゴル、チベット、ウイグルの人々も同じように皆殺しにされてしまう。

なので、シツコク中共政府の弾圧について今後も書いていきます。

皆殺しの歴史について、黄文雄氏が別冊正論26に詳しく書いていらっしゃるので、抜粋し以下に記事をご紹介しておきたいと思います。


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戦争の形が異なる支那では、「虐殺」は伝統、風習になり、戦国時代から「屠城(とじょう)=市中皆殺し」が戦勝の一大行事だった。

長安、洛陽、開封などの京師では、歴代王朝による大虐殺がよく知られる。

戦史によく「穴埋め」も出てくる。

泰将・白起(はくき)趙の四十万人以上の投降兵を生き埋めにした事は史上有名である。

武将が戦功を誇るために、敵の遺体を集めて「京観」を造ることが盛んに行われた。

その遺跡が「万人坑」(万人塚)である。

村対村、部落対部落の集団武力抗争が「械闘(かいとう)」で、史前から人民共和国の文化大革命期を経て現在も続く。

地域の長老だけでなく党書記まで先頭に立ち、武器を持ち出して行う虐殺は民間の風習にもなっている。

ことに民間の武術集団は、匪賊(ひぞく)退治だけでなく異教徒の皆殺しも行う。

19世紀末のイスラム教徒大虐殺(洗回(シイホエイ))や、20世紀初めのキリスト教徒大虐殺の北清事変(義和団の乱)は歴史的大事件となった。

文革期はあらゆる宗教が絶滅された。

1989年の六・四北京天安門虐殺に世界が震撼したが、それは「木を見て森を見ない」支那観である。

支那史を虐殺史として読む根拠は、古代春秋戦国時代の穴埋めや屠城だけではない。 


民国時代の殺し合いや文革期の「武闘」もそうで、被害者は一億人以上とまで言われる。『共産主義黒書』には、人民共和国の血の粛清被害者は八千万人以上とある。

 各王朝正史だけでも、類例なき「虐殺史」と読める。

人民共和国になって論争にもなった唐「黄巣の乱」は、殺された民衆が八百万人とされる。

長安城外に巨大な舂磨砦(しようまさい)が造られ、捕獲民衆を日に千人この巨大な臼に入れ、骨ごとの人肉ミンチを生産し、乾尸(かんし)(干し肉)や塩尸(えんし)(塩漬け肉)まで作って兵糧にした。

これは、正史『唐書』『新唐書』や『資治通鑑』だけでなく、アラビア商人の『印度・支那物語』にも出てくる話である。

 支那人が「戮民」と称され、「虐殺」を国風、国魂にまでしたのはなぜか。

戦争が激化する理由は古代から指摘され、たとえば『韓非子』は「昔は人が少なく、物が多かった。いまは人が多く、物が少ないから争いが起こるのだ」と単純明快に説く。

二千余年前の漢代には、ほどんどの人口は中原の関中に集中し、黄河南岸の人口過密が昂進した。たとえば「汝南郡は一平方キロ当たり人口密度が七百人を超えた」という。

 人口過密で自然環境が悪化し、社会も劣化して資源をめぐる殺し合いが激化する。生き残るには領土を拡大するか、競争相手を根絶やすしかない。

宮廷内の骨肉の争いで、一族郎党数万人が皆殺しにされたことが史書にも出てくる。

別冊正論26号「『南京』斬り」黄文雄(評論家・文明史研究家) より抜粋

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黄文雄(こう・ぶんゆう)
昭和13年台湾高雄市生まれ。39年から日本に留学し、44年早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院政治経済学研究科で西洋経済史を専攻し46年修士課程修了。平成9年から拓殖大学日本文化研究所客員教授。支那を中心とした東アジアの文明史や政治分析に造詣が深く、『中国の没落』(前衛出版=台湾)が反響を呼び1994年に台湾ペンクラブ賞などを受賞。台湾の主権国家としての独立維持を期する台灣獨立建国聯盟の主要メンバーとして長年活動し、平成11年から日本本部委員長。著書はほかに『中国食人史』(前衛出版=台湾)、『中華帝国の興亡―「歴史の罠」から抜け出せない隣国』(PHP研究所)、『戦争の歴史・日本と中国―こんなに違う、日中の戦争観!』(ワック)、『中国人が死んでも認めない 捏造だらけの中国史』(産経新聞出版)など多数。


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