心の風景

カテゴリ: スピリチュアル

誰かに助けを求めたいとき、信頼のおける相手が身近いれば相談できます。

あなたを気にかけ何かと力になってくれる家族・友人・仲間がいれば、 悩み、迷いながらも、支えられていることに力を得て乗り越えていける。

しかし、そういう方が身近にいないと感じている方は「誤った選択」をする。

人間の弱い心は、悪い状況にあるときほどいい加減で安易なものにすがったりするものです。

不安や悩みがあるときほど、そういう選択をしてしまうものですが、それによって更に悪い方向へ進むことがよくある。

経済的な問題から安易に知り合いに借金をしてしまう方がいますが、返せないときは友人も信用も失うことになります。

消費者金融などに手をつける方は自己破産することになる場合もあります。

また、原因不明や医師に見放された病に苦しむ方は、霊感商法などの詐欺に引っかかりやすい。

孤独、不安、悩み、迷いが大きいほど何かにすがりたいのが人間心理です。

女性が占いなどにハマる心理も同じです。

芸能界で名前の通った方が占い師によって大変な状況に陥ったことは皆さまもご存知でしょう。

よく知りもしない相手が自分ために言っているのか自分の利益へ誘導しているのか?ということを、冷静に判断できないと「溺れる者は藁をも掴む」という諺があるように、それは藁であって溺れてしまう…

良くない状況のときに結ぶ「縁」は、更に宜しからぬ状況へ流れるものです。

運の話には「流れに乗る」とか「流れに身を任せる」と書く方が多いですが、流れというのはあると思います。

けれど、本流に乗る人は「流されない」ものです。

本流というのは静かで穏やかな流れではなく、むしろ激流だと思います。

中島みゆきさんの曲に「宙船(そらふね)」という歌がありますが、私はこの歌が好きで口ずさんだりするのですが、この歌詞を観ていると、この人はこの世の人なのだろうか…と考えることがあります。

中島みゆきさんの「宙船」の歌詞を書いておきます。

その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな 
その船は今どこに
ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで
ボロボロで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み
船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と
忘れているのか
その船は舞い上がるその時を
忘れているのか
地平の果て
水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも  
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ
何を裁く秤(はかり)なんだ
何を狙って付き合うんだ
何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ
何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ
何が船を動かすんだ

その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな

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甘えは人の歩みを阻み、それは、濃い霧のように目の前を曇らせて迷いを深めます。

迷ったときは、迷いの中から一つに絞り込んでいくことが迷いから離れる方法です。

目の前のことに集中し一点に心血を注いでいくと迷いの霧は晴れていきます。

現象に捉われ、一喜一憂する方は流されやすい。

物事の上辺だけを見ると、流れの先にあるモノが何かという想像力が欠落する。

事の成否は人知を越えたところにあるのではないでしょうか?

決断力や判断力の欠如はチャンスを掴むタイミングをも外す。

チャンスの神様には前髪しかないといわれるように、チャンスにはタイミングがあるのではないかと思います。

前髪しかないというチャンスの神様、そのモデルは「フォルトゥナ」だと思われます。

フォルトゥナ(Fortuna, フォーチュナ)は、ローマ神話に伝えられる、運命の女神。
運命の車輪を司り、人々の運命を決めるという。
英語の「Fortune」の語源とされ、ギリシア神話ではテュケー (Tyche) と呼ばれる。
運命を操るための舵を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、 幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、 幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている。
また、チャンスは後からでは掴めないということを表しているために、 フォルトゥナには後ろ髪がなく前髪しかないとされているが、 最近ではすべての髪を前で束ねているイメージに変わっている。 (wikipedia)


チャンスを掴むことができる人は、漫然と日々を過ごしてはいない。

本流に乗る人は流されたりはしないものです。



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私が潜在意識(哲学思想)カテに10%エントリーしている理由。

それは「哲学思想」の上位カテゴリ「人文」が好きだからです。

人文というのは読んで字の如しなので説明は端折りますが「人の力」というのはスゴイと思っています。

政治や経済を動かすもの会社や組織、その最小単位は個人であり自らの価値観を持ち自ら判断できる自律自立した「人」が増えることを願っています。

ゆえに「哲学思想」含む下位カテゴリで見かける「他人の価値観による幸せ」にとらわれ物事を自分の価値観で見えていない方に記事を書いています。

人間の「依存心」は寄りかかる相手を探そうとする。

「依存心」の強い方はネガな感情にとらわれやすい。

だから、物事を前向きにとらえずに「なぜ自分だけがこんな目にあうのか」と、自分以外の何かに原因を探しはじめる。

潜在意識(哲学思想)カテゴリに多い「どうしたら幸せになれるか?」に群がる方の特徴です。

彼らは運命に挑もうとしない。

何かのせい。

誰かのせい。

自分は悪くない。

そんな言い訳ばかりしていたら決してそこから出られない。

そうやって出口のない迷路にいる方は「あなたが今不幸なのは、後で楽しい体験をするためです!」やら「傷つく嫌な経験は、後から幸せを感じるためです!」という妙な(詐欺師)連中に引っかかる。

こういう商売が成り立ってるのは「平和ボケ」からだと思います。

今日、生きられるかどうか分からない人々や今日、食べ物にありつけるか分からない人に同じことは言えないはずです。 

心理には「共感トリック」というのがあり「詐欺」にはよく使われている。

一般に女性は男性より共感性が高いため、この手の詐欺は男性より女性が引っかかる。

他者への共感というのは人に備わっている大切な「機能」です。

だから「ない」と問題行動の原因になる。

そういう意味で共感は必要だといえます。

幸せになりたい!という方は、自分が「不幸」だと思っているわけです。

だから「幸せになるために不幸なんだ!」といわれれば期待するわけですが、こういうビジネスをしている連中は「私も、昔、そうだった」と騙り「幸せになれる」方法があると言い出す。

幸せになるとか、幸せになるためとか…

そもそも、幸せというのものは「誰が決めるもの」なのでしょうね?

今日、食事ができること。

仕事があること。

家族がいること。

健康であること。

それを「幸せ」だといわないのか?

周り(世の中)が目に入らない者は「幸せ」が何かを理解できない。

日本に住んでいるというのは、とても恵まれているということを知らない。

世界には小学校さえ行くことができず路上で暮らす子供たちがいる。

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親もなく、劣悪な環境下で生きている。

紛争地では、兵士としてしか生きていく手段がない子もいる。

さらわれて兵士にされる子もいる。

民族問題や宗教問題を抱えた国では、命を奪われることなんて日常的にある。

・児童死亡率 3万3千人/日
(栄養、医療などの不備で死亡)

・地雷によって負傷する児童 約70人/日
(20分間に1人)

・戦争、紛争で死亡した児童 
冷戦後、10年間で200万 (大人の戦士より多い)

負傷した児童 500万

家を失った児童 1200万

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こういう子供に言えるだろうか?

私は「不幸です、幸せになりたい」と。 

不安につけ込んだビジネスを展開している連中は、そういう子供に言えるのか?

目の前で親を殺され、あるいは犯され。

助けを求め、泣き叫んでも誰も来ない。

彼らに言ってみろよ。

幸せになるためにお母さんが目の前で犯され、お父さんが殺されたんだ。」と…

安全な日本で暮らし、五体満足で、家族が居て、一緒に食卓を囲むことができる。

そういう人間が不幸といえるのか?

自ら切り開くことができる環境にありながら、誰かや何かに幸せにして欲しいと願い、悪いことは自分以外の何かのせいにして生きる。

私は、ハッキリ書いておきたい。

選択肢のある暮らしの中でさえ、文句をいい、不幸を嘆いている。

自ら乗り越えようともせず「不幸」だと思っているうちは迷路から出ることはできない。

そういう連中は、例えチャンスが訪れても活かすことはできない



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楽して「欲しい物」を手に入れる。

真剣に願えば願いが叶う?

マトモな感覚であれば「行動が伴わない」願いは、単なるオネダリだと理解できるでしょう。

欲しがるくせに「努力」はしない。

そういう方は、たいてい上手くいかないことを誰かのせいにしている。

そんな方たちが「自分には運がない」運を引寄せようと相応な相手に飛びつく…

「心」と「体」が別々ではないように様々な現象なども繋がっていたりするものではないかと思います。

そういう生き方をしていることに気がつかなければ同じことを繰り返して人生が終わる。

運は操れない。


幸せというのは楽をすることではないはずです。

それが分かっていたら、そんなことに時間を使っている暇は人生にはないのだと知るでしょう…

世間や他人の価値観で幸せを決める方は、何を自分のモノにしても幸せになれない。

思いもよらぬこと良くないことが続けば落ち込むことは誰しもあると思います。

しかし、明暗を分けるのは本人次第ではないのでしょうか?

何とかして欲しいと依存する癖や逃げ出す癖がついているという方たちは、自分を「幸せ」にするのが難しいと思います。

そういう方は、霊的な部分でも良くない方へ流されていく…
 
ああなりたいこうなりたいと願うだけで何もしないというのは、例えるなら、木の下で実が落ちるのを待っているようなもので、強く念じれば「落ちてくる」のかを考えれば分かるようなことです。

引力があるので、念じなくても時が経てば、実は自然に落ちてくるのですが、本当にその実が欲しいのなら、どうすれば実を落とすことができるか?を考えて行動することです。

積極的に自分から「行動しよう」とすることです。

好きな人ができたらどうするか?

入りたい学校や会社があればどうするか?

この国を変えたければどうするか?

全て同じではないかと思います。

 


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今日は、ブッダをご紹介したいと思います。

ブッダと老子は、私の個人的な趣味の世界ですからスルーしていただいても結構ですが、この言葉の意味するところは深いと思います。


この身は泡沫のごとくであると知り、

かげろうのように

はかない本性のものであると、

さとったならば、

悪魔の花の矢を断ち切って、

死王に見られないところへ行くであろう。


うるわしく、あでやかに咲く花で、

しかも香りのあるものがあるように、

善く説かれたことばでも、

それを実行しない人には実りがない。


うるわしく、あでやかに咲く花で、

しかも香りのあるものがあるように、

善く説かれたことばも、

それを実行する人には実りがある。


うず高い花を集めて

多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、

人として生まれまた死ぬべきであるならば、

多くの善いことをなせ。


ブッダ「真理のことば感興のことば」 

中村元 訳 岩波書店


訳者によると「花を摘む」というのは、五欲の対象(色・声・香・味・触)だそうです。

欲は、希望や夢という言葉に変えることができると思いますが、希望や夢というものは遂げらない場合もありますよね。

成功に拘るのではなく挑戦すること、それが大事ではないかと思います。

どのような「欲」を持ち、どのような心根で行うのか?

願うだけでは何も変わりませんし、行動に移したからといって必ずしも結果がでるわけでもありません。

平和を願い幸せを祈る人は多いと思いますが、願い祈ることで実現される平和や幸せなどないですよね。

国難を乗り越えるために皆で力を合わせるときです。

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今日、ブッダをご紹介したかったのは、先日フォロワーさんが中川昭一氏について「この頃本当に何も知らなかった。大きな物と闘っていたことが分かりました。」とつぶやいていたのを見て、思わず引用リツリートしてしまいました。

バチカンからの手紙には、日本の新聞社、通信社、TV局から取材を受けたさい、中川前大臣の行動に非常識な点はなかったと繰り返し説明したが一行も報じられなかったとありました。

これは、加計学園の加戸氏の証言を黙殺したのと同じ図式です。

知らなかったことは仕方ないですし、それを責めたところで中川氏が戻ってくるわけではありません。

人間は、後から「ああすれば…」「こうしていたら…」「もっと〜できたはずだ」と悔やむものです。

ですが、過ぎたことは取り戻せない。

今からやっていくしかないのです。

多くの保守の方は今も中川氏の死に疑惑を持っていることでしょう。

けれど、大切なことは、中川昭一氏が伝えてきたこと、為したこと、そして、成し遂げられなかったことを引き継いでいくことではないかと思います。

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保守としてではなく。

ひとりの日本人として。

また、人として。





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今日は、ゴールデンウィーク最終日となりましたね。

皆さまは、何処かへ出かけられましたか?

私は、久しぶりに出かけました。

タイトルに書きました和歌山県にある真言宗の聖地・高野山へ。

数多くの歴史上の人物や全国の藩主・大名の墓、供養塔があるのが「奥の院」と呼ばれる場所です。

参道が作られたのは平安時代後期から鎌倉時代だそうです。

そして「一の橋」の入口から空海が今も瞑想を続ける「御廟(ごびょう)」まで続く参道は約1.9kmほどあります。

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奥の院では、多くの慰霊碑に決意を伝えてまいりました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、高野山には「士官学校 慰霊塔」「海軍通信学校 第52期生 慰霊之碑」「慰霊碑前橋陸軍予備士官学校慰霊碑」「昭和殉難者 法務死追悼碑( 戦犯として拘束されたまま亡くなった殉難者の碑)」「アンボン島 海軍特別陸戦隊 戦士之碑」「沖縄戦戦没者供養塔」「大東亜戦争 一般無縁者之墓(戦果に倒れた身元不明者を祀られています)」などの慰霊碑が建てられています。

片道4時間の道のりと高野山で歩き通しでしたから結構大変でしたが、天候にも恵まれ良い旅ができました。

今日は旅の写真をほんの少しですがアップしたいと思います。

慰霊碑などは写真は失礼に思えたので撮りませんでしたが、興味がある方は高野山のHPなどをご覧いただくと良いでしょう。

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奥の院へつづく一の橋から弘法大師御廟まで続く参道は、樹齢1000年を超える杉や高野槙の巨木に囲まれた並木道です。

また、参道沿いには、おびただしい供養塔、祈念碑、慰霊碑が立ち並び、その数は20万基を超えるといわれます。

参道を右にそれた場所に建つ英霊殿は、昭和27年(1952年)第二次世界大戦の戦死者を供養するために建立されました。

(英霊殿)
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ゴールデンウィークに桜を見ることができて、とても感動しました。
こちらは、ひっそりとして余り人がいませんでしたが秋の紅葉も美しいそうです。

(金剛峯寺)
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高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地で「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。

(大門)
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高野山の入口にそびえ一山の総門である大門。

開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。

山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。

白い小さな点のように見えるのは、桜が風にふかれて舞っている様子です。
金剛峯寺や大門にも桜がありますが、こちらは英霊殿より日があたるので桜の花はほとんど散っていました。

石楠花の花が、ちょうど見ごろであちらこちらで美しい姿を見せてくれました。

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靖国参拝も大切にしてほしいですが、ぜひ高野山へも足を運ばれてみてください。


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