「巧言令色鮮なし仁」という論語は、よく知られているかと思います。


「巧言」は、口先だけ、言葉を飾るだけ、お世辞、口達者をいい、「令色」は、作り笑い、媚びを売る、猫撫で声などをいいます。


孔子は、寡黙で誠実な人柄を愛し、無骨で実直、飾り気のない人柄を評価しました。


時事を扱う記事をアップされる人には、あまり見ることはありませんが、他のカテでは、世界は美しいやら、愛や調和などと綺麗事を並べた「脳内お花畑」なブログも少なくありません。


戦争、紛争、テロ、強盗・強姦・殺人・イジメなど、日々流れるニュースを見て「世界が美しい」と、いったい誰が思うでしょう。


現実を肌で感じ、この世を生きていれば、この世界が美しいなどと書くことはできないでしょう。


現実的に生きるということは、汗をかき、人に笑われること、恥をかくことも避けられません。


人は、大人になるにつれ「責任」が伴うからです。


自分のミスでなく部下がミスをしても、頭を下げなければならないときがあります。


また、親になれば、子供のことで頭を下げることもあるはずです。


いつまでも子供のままでいたい者だけが、責任から逃れ「夢」だけを見ようとするのですね。


生きていく過程では、キツイ、辛い、悲しいといった「経験」を避けて通れません。


そこから「逃げて」いては、人としての成長や進化もないでしょう。


生きていれば、忍耐が必要なときもあるし、笑われたり、馬鹿にされることがあり、悔しい思いをすることもあれば、傷つきもするんです。


しかし、そういうときにこそ、自分という人間が分かります。


自分の正当性(私は悪くない)だけを訴えて、愚痴をいうだけなら誰にだってできるんです。


挑むより投げ出すのは簡単で、「壊す」のは「作る」のと比較にならないほどたやすい。


ものづくりには、検証、試験、結果、問題の洗い出し、フィードバックが必要で、論理的に分析し、修正を加えていくという「面倒な作業」は、切り離すことができません。


そして、その繰り返しです。


嫌だと感じて止めれば、その先にあるモノを見ることはないんです。


良いモノは、一つ一つ気の遠くなるような手間をかけて出来上がる。


仕事も学問も、人間関係も恋愛や家庭も、「自分という人間」も同じことがいえると思います。



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