心の風景(縁)

人に過剰な期待をして行動する方というのは、自分が期待したような「反応」を相手がしてくれないと、不機嫌になったり落ち込んだりします。

こういう方は、「依存心」もかなり強い。

誰かに頼ったり、助け合い、励まし合い、支え合うことはあると思います。

しかし、自分を理解して欲しいだけ、何とかして欲しいだけという方は、依存を根っこにして動いているため、相手の「本性」が見えない。

だから、メンヘラ・カルト・詐欺師に該当するオカシナ連中に引っかかる。

以前、ランキングにエントリーしていた哲学思想カテでは「愛される」「愛されると信じる」「愛されているイメージ」というフレーズをやたら目にしましたが、男運が悪い方は大抵、根っこが同じです。

こういう方は、自己評価が低い割りに相手に高望みをする。

それは、根っこに「依存」があるからだと気づくべきです。

自己肯定感の低さが、自分をカバーしてくれる対象を求めている訳で、ないと感じているほど欲しがる傾向にあるかと思います。

なかったら「作っていけばいい」だけのことです。

基本的に、願う、信じる、委ねる、流されるという「自己不在」の行為は「依存心」を強め、自分から何かを行動できない人間にしていきます。

そして、今年からツィッターを始めて、SNSにも、その傾向が多く見られることに気づきました。

フォロワーが多いことに、自身の価値観を置いている方は、ナルシシストです。

こういう方は、そもそも相手を見ていない。

相手ではなく「フォローしてくれる数」を見ている。

だから、何千人フォロワーがいても、アプリ管理でフォロー解除されていれば、その日の内にフォロー解除できる。

前にも書きましたが、保守を名乗る方に意外に多い傾向かと思います。

そして、こういう方は、ご自身の写真をプロフにしている。

しかも、上半身より上の写真で、おそらく若い時に撮ったモノを使用されている場合が多い。

ナルシシストぶりが、よく表れていますね。

ツィッターでは、他にも学んだことがありました。

それは、DMによるスパムです。

スパムは、メールなどにも添付されてくることがありますが、基本は同じです。

不用意に開けないこと、また、そういう相手は切っていくことです。

情報には、有益なモノとそうでないモノがあります。

そして、多くの日本人は、お人好しで正義感が強い。  

だから、感情に訴えられるような情報があれば、またたく間に拡散されていきます。

悪意のない人々によって、間違った情報が拡散されてしまう訳です。

DMひとつ取っても同じです。

少なくとも、私は、スパムを送る人が全て悪意を持っている訳ではないことを知っているつもりです。

しかし、あえて、フォロバは解除しています。

なぜなら、その悪意のない行動によって、下手をすれば、私のフォロワーさん全てを危険にさらすことになりかねないからです。

さて、最後に、心理学について少し書いておきますが、アドラー(心理学者)は、意味は状況によって決定されるのではなく、われわれが状況に与える意味によって「自らを決定する」と定義しました。

それは、物事というのは、人それぞれが、違う意味づけを行うことで「主観的に見ている」ということであり、自分なりの「意味づけ」が、自分の「性格」や「生き方」を決めているということです。

どのような状況であれ、その人が、どう意味づけ行動するか、それによって、その人を取り巻く環境も作られていると、私は思います。





私がブログを書き始めたのは、哲学思想などに観られる、引寄せで「幸せになろう」とか「豊かになろう」あるいは「自分らしく生きよう」と煽り、依存心の強い方や自分で決められない方たちを増長していることを問題に思ったからです。

こうしたブログには、嫌なことをするなとか、違和感があることはやめようとか書かれているように思いますが、そんな日本人ばかりになったら「日本」はどうなっていくでしょう?

私は、そういう記事を読んでいる大半が女性であることを残念に思います。

女性というのは、子供の一番近くに居て子供と一番長く一緒に居る存在と考えています。

一昨年前「保育園落ちた日本死ね!」が話題になりましたが、アレが「日本」の「母親」の発する言葉でしょうか。

日本が死んだら、自分たちだって死ぬんです。

感情的になって愚痴を吐いところで、何も建設的な答えを導くことはできないし、何より、政府は何年も前から待機児童の対応に当たっています。

そういう「事実」を知ろうともせず、政府や日本をなじるのが日本人でしょうか?

少なくとも、私は、これを発信した方は、日本人ではないか日本を混乱させるために恣意的に発信したものと考えています。

自分を守ること、家庭を守ること、それは、国を守るということとも繋がっています。

私は、自己犠牲が美徳だとは思いませんが、自分さえよければ、自分だけ助かれば、自分さえ幸せならという考えを、女性が持つようになったら「世も末」だと思います。

そういう方たちは、そもそも周りが見えないし見ようともしない。

最近は、スマホに夢中で、一緒にいる子供を見ることなくスマホばかり見ている若いお母さんも目立ちます。

心理学のナルシストについては過去にも書いてきましたが、なかなか自分では気づかないものだろうと思います。

ナルシストの根っこは「愛する」ではなく「愛されたい」です。

そして、誰かに挑みたがる方も、その実 「アイツを見返してやりたい」という恨み(または嫉妬)からだったりします。

虚栄心とナルシズムは、褒められないと無価値感にさいなまれ、人から「指摘」を受けても、 それを「指摘」だと解釈できません。

だから、悪い方向にしか進まない。

こういう方は、指摘されれば、自分を「否定された」と感じ「攻撃」と受け取るからです。

ナルシストは、相手を喜ばせるのは褒めることだと思っているため、人も褒めたら嬉しいだろうと考える訳ですが、見え透いた「お世辞」など、頭の良い人は喜ばないということが理解できない。

こういう方の「根っこ」は、ネガティブです。

物事を前向きに捉えられず、与えられたものは数えず「ないもの」を数え、あの人は「持っている」のに自分は「持ってない」という具合です。

「期待」でなく「不安」を、「羨望」でなく「嫉妬」選択する。

自分で勝手にネガな方向へフォーカスしていることに気づけない。

よく「アンチ~」というのがありますが、基本的にネガな方は、この傾向にある。

例えば、ツィートやブログなども読みはするけど「応援」はしない。

私も、今年からツイッターを始めたことで、再確認したことがありました。

フォロワーが5万人以上いるような人に、「いいね」をいただいたことがあります。

フォロバは、されていませんが、私は、その方のツィートから学ばせていただくことが多いので、いいねまでいただいて申し訳ないくらいです。

また、34万人ものフォロワーを持つ評論家の方にREいただいたこともあり、このような多忙かつ有名な方が、ツィートを読んでくださっているのだと知りました。

逆に、数千のフォロワーを持つ方にフォローされてフォロバしましたが、一度も「いいね」さえなく、10ヶ月して、この方は見てもいないのだと分かりました。

私は、私の相互フォローのツィートを週末には、全て見に行っています。

時間を作って、相互でないフォロワーさんもなるべく見き行くようにしています。

それは、私がフォロワーさんが「どういう方か」興味があるからです。

ツイッターを始めて10ヶ月目に入り、何人かのフォロワーさんのフォロバを解除しました。

なぜ、フォロバと書くのかといえば、私がツイッターを始めたのは、ブログの読者様ように利用させていただいているからです。

それゆえ、私が自分からフォローした方は政治家や団体、評論家を除けば5人です。

このことで、ツィートは見なくても、フォロアーの数だけは毎日確認している方が分かりました。

ご自身の写真をプロフに使用されている方に多い傾向ですが、解除後、その日の内にフォロー解除されていましたから、他人のツイートは無視して、フォロワーの数だけ毎日、見ていたんでしょうね。

愛国者を名乗る方には、ナルシシストが意外にいるものです。

ご家庭は、おそらく冷えていることでしょうね。

ナルシシストの定義は、過去にも書いてきたので、興味のある方は、心理カテをご覧ください。

何にしても、こういう方が保守というのは残念です。

人と共感し合い、情報交換をすることより、フォロワーの数なんですね。

今回のことで、そういうフォロワーを排除することができましたが、わずか10カ月で、フォロワーさんが600に届きそうです。

そんな訳で、フォロー解除されていない方も、この度、フォロバの解除をいたしました。

あまり、見に行けないと思うからです。

私は、フォローだけして、あとは知らないというのは、違うと思うんです。

ブログは、週に一度ほどですが、再開しましたので、いつとは決めていませんが、ランキングにも来年春にくらいには戻ろうと考えいます。

随分、悩みましたが、政治カテではなく、人文か哲学思想にするつもりです。

その際は、読者の方へツイッターで連絡いたしますので、応援よろしくお願いいたします!


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天下に水より柔弱(じゅうじゃく)なるは莫(な)し。
而(しか)も堅強(けんきょう)を攻むる者、これに能(よ)く勝る莫し。
その以(も)ってこれを易(か)うるもの無きを以ってなり。
弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫きも、能く行なう莫し。
ここを以って聖人は云(い)う、国の垢を受く、これを社稷(しゃしょく)の主と謂(い)い、国の不祥(ふしょう)を受く、これを天下の王と謂うと。
正言(せいげん)は反(はん)するが若(ごと)し。

(解釈)

この世に水よりも柔らかく弱々しいものは無いが、それでいて固く強いものを打ち破ることにおいて水に勝るものも無い。
その性質を変えることのできるものが存在しないからである。
弱いものが強いものに勝ち、柔よく剛を制すとは世によく知られたことだが、それを行うとなると難しい。
そこで「道」を知った聖人は言うのだ、「国家の屈辱を甘んじてその身に受ける者、その人が国家の主であり。
国家の災いを甘んじてその身に受ける者、その人が天下の王である」と。
本当に正しい言葉は普通とは逆の様に聞こえるものだ。 


任信第七十八では、水は、この世で最も弱い物質であると同時に、強い物質でもあると説いています。

それゆえに、強い者は、水と同じように、弱い立場で「汚いものを引き受けられる人」であるということです。

綺麗事を並べるだけなら誰でもできます。

哲学・思想カテを観ていると、実にそういう方が多い。

地球を守るやら平和や愛を騙っているようですが、この手の方は、私にはSEALDsと重なります。

派手なパフォーマンスに綺麗事。

人から賞賛を浴びるために良いカッコをしたがる。

そのくせ、
非難され、屈辱を受けることは嫌い、立場が危うくなると真っ先に逃げ出す。

汚いものは引き受けたくないという口先だけの方は多い。

老子の説いた「汚いものを引き受けられる人」を、私は知っています。

それは、(先帝陛下)昭和天皇です。

戦後まもない頃のことは、書物やブログなどで知りました。


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陛下は、たった一人通訳だけを連れてマッカーサーの前に立たれたのですが、マッカーサーは、陛下が命乞いに来たと勘違いし、パイプをくわえたままソファーから立とうともしなかったそうです。

しかし、陛下は直立不動のまま国際儀礼としての挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』と。

敗戦国のトップなどは、命乞い・亡命が当たり前でしたから、陛下のこの言葉は、マッカーサーを驚かせ「天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」といわせたのです。

しかし、陛下は「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と、ご自身のことは何一つ願われませんでした。

そののち、マッカーサーは以下のように語っています。

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(マッカーサー回顧録一九六三年)



私は、身体の健康だけなく心も健康でなければいけないと考えています。

当たり前のような日々も、まずは「健康」でなければ思うようにいきませんからね。

昔、私は、自分に与えられているものを数えてみたことがあるんです。

目が見えること、声を上げられること、人の話を聞けること、病気をしないこと、自分の頭で物を考えられること、自分の足で歩けること等々…健康であることは、普通ではなんですよね。

もしかしたら、明日、今の自分ではなくなっているかも知れませんからね。

私は、心理学についても書いているかと思いますが、健康な「心」は、何より大事だと思います。

そして、健康な「心」というのは、前向き(ポジ)だと考えています。

世の中には、ないものを数えたがる方がいるように思いますが、そういう方たちって、あるものは数えたがらないんですね。

だから、常に枯渇しているし、可笑しな連中に引っかかったりもする訳です。

枯渇感のある方って、健康な思考力がないんですよね。

基本的に健康な人というのは、良くない感情を引きずらないものです。

嫌なことがあっったり悲しいことがあったり、人生は、楽しいことばかりじゃないですよね。

だから、心が健康な人でも、落ち込んだり泣いたりもするでしょうし、悔しがったり腹を立てることだってあるでしょう。

けれど、いつまでも「執念深く」根に持たないんですよね。

精神的に健康な人は、相手の反応に対しても、ずっと悩んだりはしないものです。

延々とクヨクヨしたり、恨み続けたりもしない。

けれど、心が健康でない方、心身症的傾向が強い方というのは、無限ループかってくらいソコから抜けなかったりします。

その感情から出られない方は、やはり根が「ネガ」だからでしょう。

物事を「ネガ」からスタートする方って、見返すことが「出発点」になってしまうことが多いんですね。

精神世界(カルトや宗教、スピリチュアル)に走る方のいう、世間との「違和感」というのも、大抵、私は「人とは違う」から出発する訳です。

要するに、自分は「特別」という位置づけで、自分が「上」周囲が「下」な訳ですね。

このことは、心理学で説明のつく程度の話ですが、現実逃避や自己逃避する方にとって、都合良く自分を「上」に置ける世界が、自分ファーストな世界といえますね。

こういう方って、そもそもナルシシストだったりしますから。

基本的にナルシシストは、傷つきやすい自尊心を制御するために「必要なモノ」が増えていく傾向にあるといえます。

それが、金、地位、権力、人の注目、賞賛、感謝といわれるものです。

政治家・宗教家にも多く観られる傾向でもあると思います。

今日から10月、衆議院選挙が近づいて参りましたね。

パフォーマンスに騙されず、ゴミはゴミ箱へ、キチンと分類し、政治理念のある政党、または、政治家へ大切な
一票を投じていただきたいと思います。

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先日、上野動物園(東京都台東区)のパンダが誕生して、100日を迎えたとニュースになりました。

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国内でパンダが誕生し、無事100日を過ごせたのは、動物園の職員さんたちの苦労の賜物だと思います。

けれど、その「パンダの歴史」は、メディアで取り上げられることがありません。

ジャイアントパンダは、チベット国のパンダであり、 中国共産党の侵略によって奪われました。

現パンダが、唯一自然界に生息する現生息地は四川省成都西で、そこは1950年代に中国人民解放軍が侵攻した地であり、パンダの「生息地はチベット」です。

チベット併合前の中国内にパンダはいない訳ですね。

以前にも書きましたが、シナは侵略によって、他国の財産を奪い取って国を保っている侵略国家です。

シナに侵略され、国有財産、民族の伝統、文化、誇りを奪われ、凌辱され、命を奪われ、支配された国が、チベット、ウイグル、内モンゴルです。

そして、日本では「チベット自治区」と呼んでいますが、チベット自治区だけでも123万㎢で、チベット本来の範囲は広大な面積です。

四川省西半分は、チベット高原で、それは、省都である成都のすぐ西から始まり、成都から南西に240㎞ほどのところにあるミニヤ・コンカ山の標高は7556m。

成都は、古くからシナ人が居住し三国志の蜀の都ともなったところですが、シナ人は「チベット高原」に上がれず、高原はチベット人の世界であり、パンダは、このチベット高原の東端の地域に生息している動物です。

ですから、多くの心ある方たちが、パンダは「チベット固有」の動物であるとメッセージを発信されているのです。

チベットがシナに侵略支配され、パンダが「中国」の動物になってしまったという事実を、いったいどれだけの方が知っているでしょう?

シナのチベット侵略によって、パンダが「日本にレンタル」され、外交に利用されていることを、少しでも多くの方に知って欲しいと思います。




今年、8月、高須院長がツィートした特攻が美しいという内容を誤解した方から否定的な意見をよせていたのを見ました。


毎年、終戦記念日が近くなると、テレビや新聞などでも取り上げられますが、マスゴミの場合、大半は「日本が悪い」と悪者にし、国のために命をかけた人々を貶める報道が繰り返されることに憤りを禁じ得ません。



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特攻に対して、悪い感情を持ち、一方的に批判する方というのは、その時代背景や歴史に関して余りにも無知であると言わざるを得ません。


歴史の図書や、歴史を詳しく綴っているブログなどを読んだ方であれば、あの頃の日本に「他の選択肢はなかった」ことをご存知であるはずです。


死にたかったのではなく、
当時の日本の若者は、自らの命を賭してでも、日本や愛する家族を守ろうとした。


国を守るということは、愛する家族を守るということであり、それは、決して、犬死などではありません。




高須院長は、特攻を「美化」したのではなく、日本のために命をかけた若者の、その英霊に敬意を表し、その「精神」を美しいとツィートしたのです。


私が、ブログランキングの哲学・思想カテにエントリーしていたころ、「愛」やら「平和」やら「調和」やら「地球を守る」やら「宇宙や神」を騙るブログを観て、バカ丸出しだなと思ってました。


そういう連中に引っかかるのは、
物事の表面しか見ていない。


愛や人権を「声高」に主張する連中には、利己主義者が多い。


人権ガー!と叫ぶオカシナ連中を見ていれば「愛」や「人権」という言葉を利用しているだけだということが分かると思いますが、言葉に引っかかる連中には、それが分からない。


愛、平和、人権、正義、という言葉は… そういう口先だけの連中がよく使う手であり、都合の悪い現実を捨象し、自分を正当化する便利な言葉ですから。


72年前の8月14日、日本は、ポツダム宣言を受諾しました。


その数日前には、広島、長崎に原爆が落とされ、多くの市民が炎と爆風によって命を落としました。


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日本は当時、敗戦交渉のテーブルにつく道を模索していたし、それを、アメリカが知らない訳はなかったと思います。


原爆投下の理由は、ひとつは、今後脅威となる共産主義勢力に見せつけるためで、もうひとつは、広島はウラン型、長崎はプルトニウム型という二種類の原子爆弾を落としたことから推測できるように、その効果を国内外に見せるためであり、実践データを必要としたからです。


もし、日本が、当時、報復手段を持っていたら核兵器を使用されることはなかったはずです。


日本は、敗戦国であるがゆえに、日本が悪者にされ、軍隊は悪だと刷り込まれ、国のために戦った人々を戦犯にされてしまった。


平和主義者が主張しているのは、無責任な発言であり、国民を危険にさらしている。


過去記事にも書いてきましたが、シナは急速に軍備を拡大し、日本の領土、領海に触手を伸ばしています。


そして、北朝鮮は、威嚇のためにミサイルを撃ち続け、日本の海域に着弾している。

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もやは、悠長なことをいっている場合ではないのです。

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もう一度いいます、なぜ、日本に原子爆弾が落とされたのか?


それは、日本が報復手段を持っていなかったからといえます。


何もせずに、大人しくしていれば、シナ・朝鮮(ロシアも)は、必ず奪いにくる。


そうなってからでは遅いんです。


今、日本の安全保障環境は「危機的状況」にあります。


だからこそ、9条改正は「日本の安全保障」のために必要だといえます。


 


結果が伴わないときほど、「動機」を自身に問う必要があると思います。

自身の「目的」を見失うことのないよう明らかにしておくことです。

「結果」を出せなかったときに、その人の粘り強さや忍耐力が分かります。

とかく人間というのは、自分が費やした時間、かけた労力に対する報酬を求めたがるものです。

こんなにやった、こんなにも頑張ったのにと嘆いたり、不満や愚痴を吐く方がいますが、それはオカシナ話です。

こんなにやったから、こんなに頑張ったから、だから何です?

やれば必ず結果がついてくるなら、この世の中、誰もがそうします。

人気ブログランキングの哲学思想カテにエントリーしていたころ、「こうすれば幸せになれる!」とか「本気で願えば、願いは叶う!」という妙なブログをいくつか見かけました。

こういう逝かれた方ほど、エネルギーだとか宇宙だと騙りたがる。

脳内に悪い何かがわいているか知りませんが、行動したからといって必ず答えが出る訳ではないのが、この世です。

だから、我武者羅に走り続けるのではなく、やり方がマズければ、根本から修正する必要も出てきます。

こんなにやったとか、こんなに頑張ったというのは、関係ないんです。

だからこそ、明確な「目的」と強い「動機」が大切です。

自分は、何をどうしたいか?

自分は、何をどうするのか?

とどのつまりそれだけです。

認めてもらうという、人の目に映る自分を思い描くというのは「強烈な動機」にはなりません。

「見てくれない」

「分かってくれない」

「認めてくれない」

相手のあることに結果を求めても思うようにはならない。

継続していくというのは簡単なことではありません。

だから、主眼を何処に置くかは「重要」です。

厳しい状況にあるときは、温かい言葉や優しく包んでくれる誰かが必要なときもあると思います。

そういう人の優しさに触れることも大切です。

しかし、甘え癖をつけると「依存」するようになるし、何かあったとき、いつもソコに頼るようになるものです。

楽な方へ流されやすい方というのは、 今までの生き方が大きく影響しています。

過去に脳の仕組みについて少し書きましたが、脳は、消費を嫌うので、変わりたがらないし、楽な方を選ぼうとします。

だから、同じことを繰り返している方が変われないのは、それが習慣化しているといえます。

そういう理屈を知っておくと、立ち止まって自分の心と向き合うチャンスだと分かるでしょう。

結果というのは、いつも後からしか分かりません。

人類の進歩発展に貢献してきた方は、自分の描く理想を見失わず、己の信念を貫いただけです。

特に、名を残しているような方は、命がけで事に当たっています。

結果ばかりに意識がいくと、自己評価がオカシナことになります。

努力というのは、結果が出るからやるものではないはずです。

結果を出すまで諦めない。

それが、努力するということだと思います。

上手くいかないとき、結果を出せないときどうするか?

投げ出すのか?

やり直すのか?

あなたが、あなた自身に問うことです。






世の中に興味がある方は「目が外に向いている」と分かりますから、あまり必要性を感じませんが、今日は心理について書きます。


目が外に向いているというのは、かなり大事なことだったりします。


内向きな方というのは、たいてい「自分」しか見ていないものです。


だから、世間が狭いし、視野も狭い。


そして、被害者意識も強い。


そして、こういう方は、損得勘定で行動する。


それが、かえって悪い循環を作り出していることを、この手の連中には理解できない。


自分にとって、損か得か?


という考え方ばかりしていると、相手に対して、損か得かで判断する「癖」がついてしまうんですね。


こういう方たちは、周りにいい人が集まらない。


これ(類は友を呼ぶ)なんですけどね。


民進党なんか見てると、よく分かると思います。


メリットがあるときだけ利用し、調子のいいときだけ集まる。


そのくせ、都合が悪くなればサッサと逃げ出す。


都民ファーストの会なんかもそうですね。


相手を、人として見ていない。


自分にとって、
損か得かということしか見ない。


だから、相手が、誠実な人なのか?不誠実な人間か?は見れない。


相手が、メリットがある得な対象だという目で見ているからです。


有名だとか、社長だとか、お金持ちだとか、その人ではなく、その人の持っているモノを見ている。


だから、相手が「思いやり」から行動している人なのか?  


単に人気集めだったり、ビジネスの「カモ」を狙った自分のためのパフォーマンスか? を見ていないし、見ることができない。


そういうところに「興味」や「関心」を持たない。


相手が、どういう「人物か」には関心がないということですね。


だから、相手の言動に対しても、自分に被害が及ばなければ関係ないわけです。


こういう方は、実は、狡猾な人間のカモになりやすい。


素直な人が騙されるという方がいるようですが、 現実的な話をすれば、素直というより「モノを考えないタイプ」が騙されるわけです。


マスゴミに踊らされているテレビや新聞しか知らない老人や「ひるおび!」など、ワイドショーしか見ない主婦は、情報を操作する側にとって格好のターゲットです。

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昨今、話題のネットで個人情報を抜き取られる詐欺被害の増加も、会ったこともない連中を疑いもせず「宅配の転送」などという妙なビジネスに引っかかってのことです。

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この詐欺のターゲットは「自宅で簡単にできるバイト」を探している主婦で、相手先を調べもせず、口車に乗せられて自身の個人情報(免許書など)をネットで流してしまう。


詐欺師は、およそ詐欺師に見えないし、狡猾であるほど巧みに自分を装えるものです。


簡単!楽に稼げる!というのは、まず疑ってかかることです。


詐欺師からすれば、自分を見抜けない相手は扱いやすい。


そして、騙されているとも分からないまま、望ましくないことが起きたときも、これは「良くなる(得する)ため」の 好転反応(一時的損失)」という言葉で丸め込まれる。


そうやって、深みにハマッて、いっそう悪い方向に進んでいくパターンは少なくない。


カルト・宗教、スピリチュアル・引寄せなどにハマル連中なんか見てると、よく分かると思います。


ニンジンをぶらさげて釣るっていうのは、 詐欺の常套手段です。


結婚詐欺、投資詐欺、霊感商法詐欺、この手の詐欺に引っかかるのは、たいてい自分でモノを考えない依存症や、目先の「欲」に気持ちを持っていかれるタイプですから、当てはまる方は要注意です。



みずから悪をなすならば、
 
みずから汚れ、
 
みずから悪をなさないならば、
 
みずから浄まる。
 
浄いのも浄くないのも、
 
各自のことがらである。
 
人は他人を浄めることができない。

ブッダの真理のことば・感興のことば
(岩波文庫)  中村元 訳 

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ある方の『5年ツイッターを続けてきて思ったこと』というツイートを読みました。


そこには、『フォロアーは共感してフォローする訳でもない』ことや『みんな、結構悩んでいる』と分かったとありました。


人間は、いくつになっても「悩み」があるのだろうと思います。


中でも、もっとも難しいのが、人間関係だろうと思います。


押し付けられた価値観にとらわれて悩みを抱えてはいる方は少なくありません。


それで、脳科学や心理学の話を交えてブログを書いてきました。


今、ブログのメンテ中で、一旦見えなくなっている記事がありますが、修正しつつアップしていきますね。


迷いや悩みは、認知科学的にいうと脳が生み出した実態のないものだと、世界的認知科学者で、コーチング理論の第一人者である苫米地英人氏はいいます。
 

哲学思想カテゴリの潜在意識やスピリチュアルを騙る妄想癖のある連中のブログは、脳科学と心理学で説明できる極めて浅い内容ですが、金儲けが「根っこ」にある連中に引っかかるのは、同じ穴の貉だからです。


最近、哲学思想カテで、私の記事(ある方の記事は私と比較にならないほど)を盗用していた方が、その方が否定し続けてきた『心のビジネス』を始めました。


何の資格もない何も学んでこなかった、この方の人生経験を活かしたアドバイスは、スカイプセッション2万円らしいです。


この方「金儲けの亡者」と
が否定してきた連中を心底嫌いだと豪語していたのですが、『この方、危ないなあ』と以前から観ていました。


なので、案の定、始めてしまったなという感じです。(苦笑)


この方、元々、人生のドン底とやらに落ちてスピリチュアルにハマり、騙されたと分かって恨んでいる感じでした。


人気ランキングにエントリーしていた理由も『スピリチュアルを語る連中へ嫌がらせをする』ためだったそうですから、根っこはネガティブなんですよね。


そのころの自分を「負け組」とかって語ってましたが、それこそが世間の価値観なんですけどね。


だから、拙ブログでは「自分の価値観を大事にしろ」ということを、心理や脳の働きについて織り交ぜつつ哲学的なことをお伝えしています。


私は『悩みは、あっていい』と思います。


生きているからこそ『悩める』のですから。


日本では、いいえ、今、世界中で、ここ数年、地震や豪雨による自然災害が頻繁に起きていますよね。


そして、昨日まであったもの、当たり前のように暮らしてきた日々が失われていく現実があります。


生を受けたものは、必ず死を迎え『死は全ての生き物に平等』に訪れるんですね。


この世を生きる者は、ある意味『一瞬一瞬だけが確かな時間』なのですね。


だからこそ『今をどう生きるか』は、とても大事だと思います。


『明日がないかのように生きてみたら、悩んでいる暇などきっとない』と思いますよ。
 

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