心の風景

とあるブログで、「好きな人に振り向いて欲しくて色々とやったのに効果がない」と悩む女性に「出した感情が受け取る現実」というアドバイスを見かけ…笑いました。


出した感情=受け取る現実、手放せば現実がシフトするというビジネスが「伝染病」のように「お花畑」な方に拡散されているようですが…

まぁ、それだけ日本は「平和」ということだろうと思います。

こんな「
オカシナ理論」がまかり通るなら、北朝鮮がミサイルを発射してるのは「誰が出した感情」によって受け取っている「現実」なんでしょうね?

きっと、こういう記事を書いている方も読む方も、北朝鮮問題は他人事で、「幸せ」とやらが何処かから降ってくることしか頭にないんでしょう。 


こういう妙なビジネスが成り立つのは、過去記事でも上げましたが「平和ボケ」ですね。

相談者の「振り向いて欲しくて色々やった」というのは、
見返りを求める行為です。

それは、「愛」ではなく「取引」です。


誰もが振り返るほどの美人であれば、何もしなくても「向こうからくる」かも知れません。

しかし、美人であろうがなかろうが、
相手に対して返報性の法則を期待するのなら、それはお返し」を要求する「取引」です。

好きな人の「役に立てて嬉しい」とか「
相手の喜ぶ顔が見れて嬉しい」という感覚はないのでしょうね。

まぁ、引き合う者は「相応」です。

相手を、自分の「モノにしたい」ために、金銭を支払ってアドバイスを受けるという神経ですからね。


この手のビジネスに蔓延っている「思考は現実になる」というフレーズは、「信じる者は巣喰われる」という「宗教」と変わりません。

「思考は現実になる」というビジネスで金を稼いでいる輩に、
震災、強盗、強姦、イジメにあった人に、同じことをいってみろよ!と思いますね。

誰の思考で、自然災害が起きるのか?

誰の思考で、強盗や強姦にあうのか?

被害あった人に同じことがいえるのか?と、思いますね。

脳科学で知られている「苫米地英人」氏は、著書の中で「ゲシュタルトは2つ認識できない」という理論を展開しています。

出した感情が受け取る現実などというブログを書いている連中は、左派メディア同様「自分に都合良く
偏向、誇張」しているに過ぎません。

苫米地氏が定義したのは、現状のゲシュタルトを破壊させ「
理想とする現実」を作り出し「2つの現実を共存させる」ことで変化を起こすということです。

それによって、
現状のシュタルト先入観として捉えている世界)を崩壊させるという理論です。


出した感情が「受け取る現実」ではない。

そもそも、何とかしてもらおうという依存心では、何も実現できない。

そういう依存から抜けられない方は、いつまで経っても同じことを繰り返す。

まぁ、拙ブログの読者の皆さまには、縁遠い話かと思います。







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明けましておめでとうございます。

皆さまにとって、幸多き年となりますよう 心よりお祈り申し上げます。

本年もよろしくお願いいたします 。

さて、今日は、運について書いてみたいと思います。

初詣で、何を願うのか?

本来、神社などで「何とかしてください」と願うものではありません。

神様が何とかしてくれると思うのは間違いです。

神様は、サポートしかなさいません。

そして、必ずしも、サポートされる訳でもありません。

それで、松下幸之助氏の言葉を書いておきたいと思います。

松下幸之助氏のあり方に、そのヒントがあると思います。


鷹がスズメになろうとしても、スズメが鷹になろうとしても、それは運命であって変えることはできんな。

けど、鷹は鷹なりに、スズメはスズメなりに一生懸命生きる努力はせんといかん。

そこに、それぞれが成功する道も開けてくるんやな。

だから、運命が、運が90%だから努力せんでいいということにはならんね。

そして、努力したから必ず成功すると考えてもあかん。

しかし、成功するには必ず努力が必要なんやと。

 

故 松下幸之助 氏は「運」が90%だと考え、90%の「運」より残りの10%が重要だと述べています。

依存する方には「特徴」があって、自分で行動しないくせに人を羨ましがるだけです。

そういう方たちは、決まって「技術職は良い」とか「手に職があるから羨ましい」などといいながら、技術を身につけようとか、努力して何かを得ようと「行動」することがない。

そして、誰々は「頭が良いから」とか「才能があるから」だという。

そんな風に「自分はそうではないから」と言い訳をして、愚痴や不満を吐いて「同じような連中」と日々を過ごしています。

誰かに「依存」し「他律」する方というのは、最初から「逃げ道」を用意している。

やらない理由を作ることから始める。

だから、挑戦しようとすることもないし、自分で現状を打破しようとしたがらない。

こういう方は、タナボタを期待しながら「運」や「成功」についての著書やブログを読んでいるように思いますが、この手の方が、仮に成功できたとしてもすぐ転落していくでしょう。

90%の「運」より残りの10%が重要だと述べた松下氏の人生は「美談」で語れません。

松下氏は、大阪の証券業界では知らない人がいない相場師であったようで、「ホナ○万株頼むわ」と、数億円という買い注文を周囲を唖然とさせるほど簡単にいう方だったようです。

会社がつぶれれば全財産を失うし、巨額の借金を負えば最終的には破産です。

松下氏の豪快な一面だけを見ていては、松下氏の「経営に対する覚悟」が生半可なものではなかったことは理解できません。

会社が傾けば、全財産を投げ打つのは「経営者」として当たり前なんです。

松下氏は、そういう覚悟を持って生き、人生を歩いた人だろうと思います。

原因と結果の関係を受け入れない人は、現実と幻想の境界がない。

だから、自分に都合の良いモノだけを見て、自然の法則を無視する。

自然には、夢見がちで現実を見ない連中が語る「愛」や「調和」はない。

暴風、豪雨、豪雪、雪崩、洪水、高潮、津波、噴火、竜巻、台風、落雷、地震…

こうした自然の姿に「愛」や「調和」があるかは、現実を見れば明確です。 

東日本大震災では、死者15,894名、重軽傷者6,152名、警察に届出があった行方不明者2,561名(未確認情報を含む)。

阪神淡路大震災では、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名。

自然は、多くの命を飲み込み、人々から日常を奪っていきました。

自然は、弱肉強食、食物連鎖、自然淘汰、そこに「調和」がある。

増えれば減り、減れば増え、消えては、また新しいものが産まれ、何れかに傾けば、また反対に傾く。

この世の全ては、同じ状態を保ち続けることはありません。

しかし、日本の平和は、私たち次第で保つことが可能です。

誰ひとり殺させないためには、どうすればいいか?

安全関連法に反対するママの会では「誰の子どもも殺させない」をスローガンにしているようですが、平和ボケもいい加減にしろ!といいたい。
http://mothers-no-war.com/

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あなたがたは、家に鍵をかけないのか?

警察はいらない
のか?

家に鍵をかけないで過ごせは、どうなるか?

警察のいない治安は、どうなるか?

言い換えれば、あなたが、明確な「目的を持って」強盗に入るなら、どんな家を狙うかということです。

屈強な若い男性が何人も住んでいるような家を狙うだろうか?

女、子供、老人の住んでいる家を狙うのではありませんか?

日本にはシナや朝鮮の工作員が蔓延り、明確な意図を持って「偏向報道」を繰り返す新聞、雑誌、ニュース番組が腐るほどあります。

戦争反対を騒ぎ立て、沖縄基地反対などを騒いでいる連中の意図するところとは何でしょう?

通州事件から80年を迎えました。

事件については、産経さんの記事をご紹介したいと思います。

邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触

日中戦争(1937~45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也)

 通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。
 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。
 それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。
 この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。
 さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。
 実例として、36年11月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。
 35~36年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。
 保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、38年8月に同省楽亭県での暴動を組織した。
 張慶余らは、盧溝橋事件(37年7月7日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。
 通州事件で、保安隊は7月28日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。
 蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。中国では「抗日将領」として評価されている。

【用語解説】通州事件  日中戦争開始直後の1937年7月29日未明、北京の東にある通州(現・北京市通州区)で、親日地方政権「冀東防共自治政府」(殷汝耕=いんじょこう=政務長官)の保安隊が蜂起した事件。自治政府、日本軍の関係機関のほか、日本人居留民が襲撃され、朝鮮半島出身者を含む200人あまりが死亡した。多くの女性や子供が、きわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本の国内世論を激高させた。
(2017.1.4 産経)

きわめて残虐な方法で殺害され「日本の国内世論を激高させた」と記事にあるように、日本人には考えも及ばない鬼畜の所業だったということです。

どのような内容であったかを詳しく知りたい方は、「慟哭の通州」をお勧めしておきます。

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彼らは、内モンゴルの人々にも、ウイグルの人々にも、東トルキスタンの人々にも同じことを繰り返してきた。

台湾の若者は、シナのやり口をよく知っており「警戒」しています。

日本も、情報に敏感な若者を中心に、こうした事実と、今、日本は「加計」の偏向報道に時間を潰している場合ではないことが、ネットで拡散されつつありますが、お花畑なママやTVや新聞しか知らない老人にまで、この事態を周知していく必要があります。

ひとり、ひとりの力は小さくても、皆で力を合わせれば、情報の拡散を、より大きくできると思います。





再春館製薬が「ひるおび」のスポンサーを(今年5月ごろ)降りネットで話題となった。


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倒閣のために捏造を繰り返す卑しい報道姿勢に、多くの心ある人たちは、スポンサーへ働きかけ、働きかけています。



こうした「行動」の一つ一つは、とても大事なことだと思っています。

以前、人気ランキングにエントリーしていましたが、
哲学・思想カテでは、「魂に刻まれた使命を果たそう」などというメンヘラなブログを目にしました。

こういうことを書く連中は、ほぼナルシストなんですけどね。


あの世に「徳を積め」やら、徳を積まないと「低い霊界」に行くやら、行動しない人間の寝言は、見ていて気分が悪いものですね。

徳を積んで「良い霊界へ行こう」と行動する者の根っこにあるのは「取引」です。

この世の「今」を生きる人は、あの世や来世のために生きるべきではない。

何気ない日常の中にも「自分にできること」というのはあるはずです。

過去の歴史も、今起きている社会情勢も「自分には関係ない」と思うのか?

率先して「関わっていく」のか?

得にならないからやらないのか?

自分に利益がなくてもやるのか?


自分の利益ばかり優先し、国益や社会情勢に、まったく興味がない人間は、日本の未来を考えたことはないでしょうし、物事を近視眼的にしか見られない。

日本という国がなくなれば、利益どころか「平和」「平等」「自由」さえなくなってしまうという認識がない。

これだから、お花畑は「B層」といわれる。

我が国を、内側から破壊しようとする左派メディアによる連日の偏向報道、内側へ入り込んで企業情報を盗用するスパイ活動、虎視眈々と日本を我が物にしようとするシナ。

これらについて、いつまでも他人ごとでいいのか?

魂に刻まれた使命とやらを探し回るより、現実的にやることがあるだろう?と、思います。


この身は泡沫のごとくであると知り、
かげろうのようにはかない本性のものであると、
さとったならば、

悪魔の花の矢を断ち切って、
死王に見られないところへ行くであろう。

うるわしく、あでやかに咲く花で、
しかも香りのあるものがあるように、

善く説かれたことばでも、
それを実行しない人には実りがない。

うるわしく、あでやかに咲く花で、
しかも香りのあるものがあるように、

善く説かれたことばも、
それを実行する人には実りがある。

うず高い花を集めて
多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、

人として生まれまた死ぬべきであるならば、
多くの善いことをなせ。

ブッダ「真理のことば感興のことば」 

中村元 訳 岩波書店





誰かに助けを求めたいとき、信頼のおける相手が身近いれば相談できます。

あなたを気にかけ、何かと力になってくれる家族・友人・仲間がいれば、 悩み、迷いながらも、支えられていることに力を得て乗り越えていける。

しかし、そういう方が身近にいないと感じている方は「誤った選択」をする。

人間の弱い心は、悪い状況にあるときほど、いい加減で安易なものにすがったりするものです。

不安や悩みがあるときほど、そういう選択をしてしまうのですね。

そして、ますます悪い方向へ進むことがよくあると思います。

経済的な問題から、安易に知り合いに借金をしてしまう方がいますが、返せないときは、友人も信用も失うことになります。

消費者金融などに手をつける方は、自己破産することになったりします。

また、原因不明や医師に見放された病に苦しむ方などは、霊感商法などの詐欺に引っかかりやすいんですね。

孤独、不安、悩み、迷いが大きいほど、何かにすがりたいのが人間心理です。

女性が、占いなどにハマる心理も同じです。

しかし、よく知りもしない相手が、自分ために言っているのか自分の利益へ誘導しているのか?

冷静に判断できないと「溺れる者は藁をも掴む」という諺があるように、それは藁であって溺れてしまいます。

良くない状況のときに結ぶ「縁」は、更に宜しからぬ状況へ流れるものです。

運の話には「流れに乗る」とか「流れに身を任せる」と書く方が多いですが、流れというのはあると思います。

けれど、本流に乗る人は流されないものです。

本流というのは、静かで穏やかな流れではなく、むしろ激流だと思います。

甘えは、人の歩みを阻み、それは、濃い霧のように目の前を曇らせて迷いを深めます。

迷ったときは、迷いの中から一つに絞り込んでいくことが、迷いから離れる方法です。

目の前のことに集中し一点に心血を注いでいくと、 迷いの霧は晴れていきます。

現象に捉われ、一喜一憂する方は流されやすい。

物事の上辺だけを見ると、流れの先にあるモノが何かという想像力が欠落する。

事の成否は、人知を越えたところにあります。

決断力や判断力の欠如は、チャンスを掴むタイミングをも外すのです。

チャンスの神様には前髪しかないといわれるように、 チャンスは一瞬だったりする訳です。

前髪しかないというチャンスの神様、そのモデルは「フォルトゥナ」だと思われます。

フォルトゥナ(Fortuna, フォーチュナ)は、ローマ神話に伝えられる、運命の女神。
運命の車輪を司り、人々の運命を決めるという。
英語の「Fortune」の語源とされ、ギリシア神話ではテュケー (Tyche) と呼ばれる。
運命を操るための舵を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、 幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、 幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている。
また、チャンスは後からでは掴めないということを表しているために、 フォルトゥナには後ろ髪がなく前髪しかないとされているが、 最近ではすべての髪を前で束ねているイメージに変わっている。 (wikipedia)


チャンスを掴むことができる人は、漫然と日々を過ごしてはいません。

本流に乗る人は、流されたりはしないものです。


みずから悪をなすならば、
 
みずから汚れ、
 
みずから悪をなさないならば、
 
みずから浄まる。
 
浄いのも浄くないのも、
 
各自のことがらである。
 
人は他人を浄めることができない。

ブッダの真理のことば・感興のことば
(岩波文庫)  中村元 訳 


過去記事で、堀江貴文氏の著書「ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく」をご紹介いたしましたね。


この本のに書かれている「やりがいとは見つけるのではなく、自らの手で作るものだ」という文面に、共感された方も少なくないと思います。


私は、ツィッターを始めて、もうすぐ一年になりますが、ある方が、5年ツイッターを続けてきて思ったことというツイートを読んだことがあります。


そこには、フォロアーは共感してフォローする訳でもないということや、みんな、結構悩んでいるんだとありました。


人間は、いくつになっても「悩み」があるのだろうと思います。


実は、悩みというものも、自分が作っているものに過ぎないのですが…


その悩みも、生きているからこそ「悩める」のですね。


日本では、ここ数年、地震や豪雨による自然災害が頻繁に起きています。


そして、昨日まであったもの、当たり前のように暮らしてきた日々が失われていく現実があります。


生を受けたものは、必ず死を迎えます。


死は、全ての生き物に平等に訪れます。


この世を生きる者たちは、ある意味、一瞬一瞬だけが「確かな時間」なのですね。


だからこそ、今をどう生きるかは、とても大事だと、私は思っています。


今を生きている。


その、今を繰り返し、生きていく。


それが、その人の人生を作っていくのです。

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堀江貴文氏の著書「ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく」が出版されたころ、この著書を読まれた方も少なからずいるかと思います。

特に、仕事の悩みを抱えた若い世代の方に人気があったので、ネット世代の方は、比較的読んだ方が多いかも知れませんね。

本の中には、10代20代の若い世代の方からの相談を受ける機会が非常に多かったと書かれてあり、その多くが「仕事に関する相談」であり、仕事に対する堀江氏の考えが「タイトル」になっているように、私には思えました。

内容を一部、以下に抜粋します。

みんな掛け算の答えを求め「成功へのショートカット」を求め、

どうすれば楽をしながら成功できるか?

楽をして成功する方法を教えてもらおうとしているのかも知れない。
 
人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、
 
そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
 
つまり「掛け算の答え」を求めているあなたはいま「ゼロ」なのである。 
 
そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。
 
物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。
 
まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。
 
小さく地道な一歩を踏み出す。
 
ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。

 堀江貴文「ゼロ」ダイヤモンド社より
 
この中には、堀江氏の仕事に対する思いとして「やりがいとは見つけるのではなく、自らの手で作るものだ」と書かれてあります。


私は、哲学・思想カテに以前エントリーしていたこともあり、人生・生き方・愛などを騙る妙な(詐欺師とナルシスト)連中のブログも少なからず見てきましたが、実践を重ねてきた堀江氏の言葉には「重み」がありますね。
 

さて、話しは変わりますが、日本人の良さが失われつつあり「自分にメリットになることだけ」を好む方が増えてきたように思います。


誰しも、自由に「自分の好きなものを選ぶ権利」がある訳ですから、自分にとってメリットになることを選ぶことは、不自然な行為ではないと思います。


しかし、そんな風潮がはびこれば、日本は長く続がないでしょう。


これからの社会は、マスゴミとネットユーザーの「情報戦」だといわれていますが、ひとりでも多くの方が、この国の未来を考え、この国を残していく力になって欲しいと願います。


日々、繰り返すこと(刷り込み)によって、洗脳していく左派メディアのヤリクチは、嘘も100回いえば本当になると、その手を緩めることはない。


池上彰のヤラセ番組が、ゴールデンで流され続け、情弱と呼ばれる「お花畑」な連中は、未だ目覚めることがありません。


そして、尖閣には、毎日のように中国船が確認され、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域、中国海警局の船が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認しています。

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過去にも、書いてきましたが、シナは北海道も我が物にしようと狙っています。

もっといえば、我が国を狙っているんです。

尖閣、沖縄、北海道が、シナの手に渡るようなことがあれば、日本の平和を維持することは非常に難しいものとなるでしょう。
 
私は、愛国者を名乗る者でもありませんし、何処にでもいる普通の日本人だと思っています。


しかし、日本に危機が迫っている現状を見て、何もしないでいることはできません。


通州事件は、日本では教科書に載ってもいませんが、先日ご紹介した「しばやんさん」の記事に、かなり詳しく載っていたかと思います。


通州事件は、当時の日本人が信頼していたシナ人に裏切られ残忍に殺害された痛ましい事件であり、計画されたテロであったと思いますが、長くなるので、この件については、いずれ書きたいと思います。


日本では、テレビ局が乗っ取られ、情報や技術が撮影され中韓へ盗まれ続け、国内へ、不法に潜入する工作員も増え続けています。


これを見過ごしていくことが、窃盗・殺人・強姦などに繋がる訳で、つけ入らせない、つけあがらせないことが大事です。


殺されてから、犯されてから、奪われてから、国を「乗っ取られてから」では手遅れです。


そうならないために、情報に敏感なネットユーザーによって情報共有をはかり、お花畑な人間が一人もいないようになって欲しいと願います。


そして、この国の将来を、皆で築いていきたいと思います。






私が、心理について書いているのは、自己肯定は、とても大切なことだと考えているからです。


そして、自信というものの「根っこ」にあるのは、自己肯定があると思っています。


日本人は、謙虚を美徳とする方が多く、良いイメージを持たれないかも知れませんが、自信があることと、謙虚さは分けて考える必要があると思います。


自分に自信がないと、それを魔化そうとする方もいますが、それは、たいてい過去において、傷ついた経験があったりするためです。


だから、そのことで「同じ思いをしないために」自分を守ろうとします。


しかし、傷つけられたくないから「弱味を見せない」ようにするより、受け流していける心の柔らかさをつけていく方が大事だと思います。


自分の弱さや醜さというのは、主観であって、必ずしも皆が同じではないのですが、自分を誤魔化して生きていると「自分自身」を受け入れにくくなっていきます。


それを、潜在意識や哲学思想などで「心のビジネス」をしているブロガーが「自愛」というよう表現として使っていると思います。


しかし、私にいわせれば「自分を愛する」という言葉は必要ありません。


ツィッターを今年から始めて思うことと似ていますが、国を愛すること、当たり前のことです。


そして、自分を、愛すること、これも、また当たり前のことです。


自己愛が過ぎるナルシシストは別として、自分を愛するのは
自然なことです。


心理学では、本心では、相手方を嫌っているのに、良い人を演じ相手を想っている様に装うことを問題としています。


自分の弱さを隠そうとして「強そうに振舞ったり」自分の狡猾さや冷たさを隠そうとして「良い人を演じる」ことが問題なんです。


人間は、人それぞれですから、絶対こう思わなければいけないというルールはありません。


昔、誰かに「冷たい」といわれて傷ついた方は、冷たいと思われることに恐怖を感じます。


それは、冷たい=嫌われるに繋がるからです。


しかし、自分を誤魔化して満たされるということはありません。


基本的に、狡猾さや冷たさというものも、やはり「比較」があるからこそ分かることで、自分に厳しい方は、目標とする人と比較して「自分は」などと感じることが多いでしょう。 


だから、自分は自分、自分の価値観を持っておくことは、とても大事なことです。
 

目標があることは、素晴らしいと思います。


また、目指す人がいるという、お手本に出逢えた人は幸せな人がです。


けれど、あなたは、あなただということを、忘れてはいけません。


自分の価値観をシッカリ持っていれば、他人の価値観を押し付けられ、そんなものを羨ましいと思うことはありません。


また、マスゴミの偏向報道に乗せられるということもありません。


リア充を謳ったり自慢が多い方は、実は「私を見て、私にかまって」という「かまってちゃん」で、上西小百合議員のようにわざと問題を起こす方も同じです。


自分で「自分」を認められないと、誰かの賛美や賞賛、あるいは、それが例え「批判」であっても、自分以外の誰かが必要になるんです。


つまり、自分で自分を肯定できないと、誰かに褒められたり羨ましがられること、そして、嫌われることも含め、そういうことでしか、自己の存在や価値を判断できなくなります。


基本的に、自慢とか優越感というのは、劣等感の裏がえしでもある訳で、劣等感は「代償行為」にも走らせるし、人は、問題の根本にアプローチすることでしか満足を得られることはありません。
 

表面を繕って綺麗に飾り立てたところで、その反対に悪ぶっても同じで、そんなことをして、自分に自信がついてくることはありません。


分かりやすい話を書くとすれば、ニキビや吹出物ができると気になる女性は多いはずです。


しかし、ファンデは、ニキビや吹き出物を見えないように誤魔化してくれても、自分は知ってるんですね。
 

大事なことは、人に「どう見られるか」ではなく、自分自身を「自分がどう見ているか」です。


人には、それぞれ異なる感覚や感性があります。 


例えるなら、色の認識が人によって異なるようなもので、青という色も、スカイブルー・コバルトブルー・インディゴブルーなどの表現があるように、人によって思い浮かべる色は異るかと思います。


色の受け止め方が人それぞれ違うように、物事の受け止め方も人によって違うんですね。


定義というのは、相互間での「言葉の意味」や「用法」に共通の認識が必要なためだからです。


だから、人は、お互いの言葉を重ねていくことによって互いを理解していくといえます。


もちろん、言葉を重ねたところで、理解し合えない連中もいますが、人と人が良い関係を構築しようと心掛けることは大切です。


そして、色が人によって異なるイメージを持つように、感じ方、受け止め方というのも違うので、自分が思うことを率直に相手に伝えることは大事だと思います。


日本で、アドラーの「嫌われる勇気」が流行ったのは、 日本人の多くが「空気を読む」などに見られるように、 相手への配慮や摩擦を避ける傾向が強いためでしょう。


しかし、デンツーの問題などで大きく取り上げられましたが、過酷な勤務時間による事故や過労死の問題は、当事者が劣悪で過酷な現状に耐え続けたことに、私は問題を感じています。


上司や会社には、もちろん問題があったと思いますが、被害者となってしまった方は、例え、責任感が強く真面目だったとしても、理不尽な相手に声を上げるべきだったと思います。


心理的束縛というのは根深く、心の牢獄であり脳の呪縛であり、相手のいうことを聞くしかない、従う以外にない、という思い込みを持ってしまう… 


私がいいたいことは、受け手の「意思」が重要だということです。


脳は、誰かに見られているという暗黙のプレッシャーを感じると、 実際にはそうでなくても、見ている人の期待に沿うよう行動する力が働きます。 


脳は、見られているかも知れないと感じるようにできているからです。


だから、


自分は何が好きか? 何が嫌いか? 


何をやりたいか? 何をやりたくないか?


を、明確にすることは大切です。


皆んなやってる、皆んなが言ってる。


そうやって、イジメも始まる訳です。 


そして、事が大きくなり問題になると「やりたくなかった」「◯◯さんに強要された」と責任転嫁する。 


これは、イジメに限ったことではないんです。


誰かに言われたとか、誰かは関係ないんです。


良い、悪い、やる、やらないというのは、自分で判断するんです。



自分は、どうするのか? そういうのが大切なんです。



友達が良くないことしていると思ったら「止めろ!」というのが友達です。 


自分の思っていることを相手に伝えること、声を上げていくというのは、とても大事なことだと思います。


「天上天下唯我独尊」


自分という存在は、他にはいないんです。



その「自分」をどうするか?


いかにして、生きていくか?


どうやって、人や社会と関わっていくのか?


どうやって「人生を歩いていくか」は、とても大事なことだと、私は思います。


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願いを叶えたいといいながら、棚ぼたを待つような方は、いつまで経っても願いを叶えられないものです。

棚ぼたを待つより、可能な限り鮮明に描き意識を明確にすることの方が、はるかに確率が高くなります。

ボンヤリした目標というのは、叶えられないものです。

何故なら、ボンヤリしたものは想像できないからです。

具体的にイメージし現実的に取組むことが、願いを叶える一番の方法です。

目標を定めても「もうダメなんじゃないか?」など不安になる時は誰しもありますが、不安や恐怖の正体は、自分が作り出していることが多いんですね。

だから、誰かに何とかしてもらおうとしていると、いつまでたっても「不安」や「恐怖」と付き合うことになります。

何かに挑戦するということは、失敗もあり得るし、失敗したら馬鹿にされることもありますよね。

だけど、恐れていたら「前に進む」ことができません。 

イチローは、幼い頃からプロ野球選手になると決め、明確なビジョンを持って確実に歩みを進めた人です。

 

彼を観ていると、ラクをして何とかなってきたようには思えません。

それは、彼だけではないと思います。

つまり、具体的な「夢」や「目標」がある人は、地道な努力をしているということですね。

例えば、マイホームを建てるという「目標」があれば、マイホームを購入するための「具体的な計画」を立てます。

マイホームを購入するためには、どれくらい収入があればいいか?

頭金やローンを幾らくらいにすると問題なく支払えるか?と、目的を達成するために必要なことを現実的に考えていきます。

具体的な目標もなく、勝ちたいくせに努力はしたくないという連中が、非現実的な夢だけを見ている。

幸せを「引寄せよう!」と、昨今、引寄せという言葉が「お花畑脳」の方を引寄せているようですが…

ある日、突然、「幸せ」が舞い降りるのを待っているという方たちは、正常な判断ができないか、お花畑脳のいずれかに該当するかと思います。

そして、こういう方の特徴として、いつ幸せになれるのかが分からず「不安」になる。

しかし、不安になるのは当然です。

自分で積み上げているものが、何一つない訳ですからね。 

昨年、イチローが、ピート・ローズの大リーグ記録を塗り替えた会見で、以下のように語っていた言葉は、今も私の心に残っています。

僕は子供の頃から人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はあるので、例えば小学生の頃に毎日野球を練習して、近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』っていつも笑われてた。だけど、悔しい思いもしましたけど、でもプロ野球選手になった。
何年かやって、日本で首位打者も獲って、アメリカに行く時も『首位打者になってみたい』。そんな時も笑われた。でも、それも2回達成したりとか、常に人に笑われてきた悔しい歴史が 僕の中にはあるので、これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろんあります。

目標を明確にできる人は、周囲の反応に関係なく、自らが選んだ道の努力を怠らないものです。

人に笑われても、悔しい思いをしても、自分の目標を実現するのには、努力と工夫の積み重ねが必要だと知っているからです。

だから、天才といわれるよう人は、実は、現実に根ざした生き方をしているものです。

イチローのように「途方もない夢」を描くことはあっても、現実を無視することはないんです。

理想や夢を高い所に設定して失敗する方は、それができません。

夢だけあって「段階」を設定しない方は、理想と現実のギャップが挫折の引き金になります。

そして、 動機というのは、とても重要で、明確な動機がある方ほど、目標に向かって取組むことが可能で、目標に向かって努力を重ねていけるんです。

こういう当たり前のことを嫌がって、一足飛びにやろうとすると思うようにいかないものです。

具体的計画をして挑戦し続けることが、自分の夢や目標へ近づけていく、唯一の方法です。

言い換えれば、それ以外の方法はないということだと、私は思います。





人に過剰な期待をして行動する方というのは、自分が期待したような「反応」を相手がしてくれないと、不機嫌になったり落ち込んだりします。

こういう方は、「依存心」もかなり強い。

誰かに頼ったり、助け合い、励まし合い、支え合うことはあると思います。

しかし、自分を理解して欲しいだけ、何とかして欲しいだけという方は、依存を根っこにして動いているため、相手の「本性」が見えない。

だから、メンヘラ・カルト・詐欺師に該当するオカシナ連中に引っかかる。

以前、ランキングにエントリーしていた哲学思想カテでは「愛される」「愛されると信じる」「愛されているイメージ」というフレーズをやたら目にしましたが、男運が悪い方は大抵、根っこが同じです。

こういう方は、自己評価が低い割りに相手に高望みをする。

それは、根っこに「依存」があるからだと気づくべきです。

自己肯定感の低さが、自分をカバーしてくれる対象を求めている訳で、ないと感じているほど欲しがる傾向にあるかと思います。

なかったら「作っていけばいい」だけのことです。

基本的に、願う、信じる、委ねる、流されるという「自己不在」の行為は「依存心」を強め、自分から何かを行動できない人間にしていきます。

そして、今年からツィッターを始めて、SNSにも、その傾向が多く見られることに気づきました。

フォロワーが多いことに、自身の価値観を置いている方は、ナルシシストです。

こういう方は、そもそも相手を見ていない。

相手ではなく「フォローしてくれる数」を見ている。

だから、何千人フォロワーがいても、アプリ管理でフォロー解除されていれば、その日の内にフォロー解除できる。

前にも書きましたが、保守を名乗る方に意外に多い傾向かと思います。

そして、こういう方は、ご自身の写真をプロフにしている。

しかも、上半身より上の写真で、おそらく若い時に撮ったモノを使用されている場合が多い。

ナルシシストぶりが、よく表れていますね。

ツィッターでは、他にも学んだことがありました。

それは、DMによるスパムです。

スパムは、メールなどにも添付されてくることがありますが、基本は同じです。

不用意に開けないこと、また、そういう相手は切っていくことです。

情報には、有益なモノとそうでないモノがあります。

そして、多くの日本人は、お人好しで正義感が強い。  

だから、感情に訴えられるような情報があれば、またたく間に拡散されていきます。

悪意のない人々によって、間違った情報が拡散されてしまう訳です。

DMひとつ取っても同じです。

少なくとも、私は、スパムを送る人が全て悪意を持っている訳ではないことを知っているつもりです。

しかし、あえて、フォロバは解除しています。

なぜなら、その悪意のない行動によって、下手をすれば、私のフォロワーさん全てを危険にさらすことになりかねないからです。

さて、最後に、心理学について少し書いておきますが、アドラー(心理学者)は、意味は状況によって決定されるのではなく、われわれが状況に与える意味によって「自らを決定する」と定義しました。

それは、物事というのは、人それぞれが、違う意味づけを行うことで「主観的に見ている」ということであり、自分なりの「意味づけ」が、自分の「性格」や「生き方」を決めているということです。

どのような状況であれ、その人が、どう意味づけ行動するか、それによって、その人を取り巻く環境も作られていると、私は思います。





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